昔の内輪話。世田谷区の僕と同世代の身障者たちは若い時、異性のボランティアに恋愛対象から外されたり、子供扱いされたことを後年まで恨んでいる例が多いとよく聞く。僕もそうされたし、多くの身障者がそうされたのを見てきた。
以上も、ボランティアの人たちの自我未発達で説明付く。その過去からの過重な親子関係と、受験競争で自我はまだ小学生段階だったと思われるから。確かに、小学生はまともな恋愛はできないし、自分がそのような心なら他人にもそうする。また、ボランティアは本当は個人的にするものなのに、世田谷ボランティアは新興宗教みたいに仲間で活動。見ていて、気持ち悪く感じた。
それでも、僕に関心持ってくれたほぼ同じ歳の女性ボランティアも現れている。僕のしていた学問や島田療育園の事をいろいろ聞いた。ただし、グループ行動が忙しく、個人付き合いまで発展しなかった。恋愛可能まで自我が発達していれば、グループ活動はしないわけである。
その彼女が自我が発達していたら、何があったか。最初から僕と絡みあい、若いこともあり、早くにセックス。結婚の事を深く話し合うが、マイホーム作りもグループ活動には違いなく、10年しか続かないことも二人に見え、あとは今の福祉につながるヘルパーや、雑居施設ではない、身障者の居場所を模索したかもしれないと。彼女は法的には、未婚の母で一人で育てるようになったと。
因みに、身障者たちもグループ
求める例が多かった。障碍程度、特に言語程度の対立関係にもなり、大げんかで解散。福祉、宗教、左翼関係とグループ組むと必ず失敗するわけである。