本来の教会共同体は、神の力により、一時的に集まった臨時的なグループを指し、すぐに世間に散る。イエス没後の使徒たちがそうだったし、内村鑑三も述べている。
ところが孫弟子のあたりから、固定的な組織に次第になり、教会共同体=教会組織になり、分派も深刻になった。パウロがそのように指導したと言う人もいるが、そうではなく、多くの当時の信徒たちが気が合う人同士がグループを組み、組織化もしていったと。後年の教会組織に至るものですね。指導者に推薦される者も出て、次第に「地上の神」になった。パウロは分派の事に悩んだが、組織化すれば、そうなるわけだ。分派よりも、組織化が問題である。
その後、人民の教育程度は低く、情報も世界に流れなかったので、西洋では教会の権威主義が続いた。文化の違うロシアなどとは別れ、深刻な対立にもなったが。
組織は腐敗するもの。神父や牧師のレイプも昔からあったが、隠ぺいされ、世間に漏れなかった。今はITがあるから、隠ぺいしても知れ渡る。教育も上がり、教会組織が神と信じない人たちも多い。ヨーロッパで教会行く人が減るわけだ。
どんな宗教もこれからは使徒たちのころのように、離合集散を繰り返すかもしれない。キリストの再臨とはこのことかもしれない。別にイエスが生まれ変わって地上に現れるのではなく。親鸞も本当は真宗の組織化は望まなかったし。
政党、福祉や身障関係と共通していると。組織作ると狭くなる。