以下は、ライ予防法や昔の施設の狂い、教会組織絶対化などの根の一つだと言えます。
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教育勅語から天皇崇拝と国家主義に役人たちはさせようとしたが、戦前の資本家たちはお金を崇拝したし、昭和になり、軍部は次第にヒットラー崇拝。カルトも増えるなど、人々の心は狂った。
戦後はかなりがお金を崇拝。そこから取り残された、反発した人たちも身障運動やボランティア活動、キャンプを絶対視し、考え方の違う身障運動同士が激しくけんかするなど、おかしかった。今思うと、身体障碍やボランティア、キャンプを絶対化、神秘化するなど、疑似信仰。それらは人をつながないのに。寂しくて、友人や恋人をいきなり求め、すれ違いからケンカになったり、詐欺にあう例も多い。友情や恋愛も良いが、絶対性はなく、神仏の代わりにはならない。
今はコロナ接種やマスクに見られようだ。本当は科学的に見て、自分の体質に合わせて、医者と相談して、個人個人が決めることなのに、賛成派は多くの他人の接種を要求し、反対派は副作用を根拠に他人の接種も反対。しかも、同派間で心通わせようとしている。おかしい。
以上は政党支持にも言えそう。特定の政党を絶対視し、投票し続けたり、違う政党の支持者とは付き合わなかったり。日本の政治が不活性な一因でもあろう。
神仏や天以外、崇拝できるものはないのだが。それ以外の崇拝は無理である。