僕と島田療育園に同行した何人かが「そこからの社会変革」を唱え、当時の僕は判らず、職員や身障園生からは変に思われた。大体、社会はいつの世でも世界全体であり、それよりもはるかに小さい一施設とか一病院から世界を変えることはできないし、会社や学校ももちろん、一政党や教団からさえもできないだろう。でも、今の僕は気持ちがわかる気がする。
「社会変革のヒントを求めて」ではなかったか。説明不足がまずあった。更には、彼らは経済学に疎かった。何もマルクス主義でもなくても、孟子の時から、社会変革=経済変革だが、そうではなく、優しさや感動の輪を広めての社会変革を述べていた。結局は彼らはヒントは得られず、述べるのを止めた。
僕も元々は社会に通じるものは見出せなかった。でも、放送大学で欧米経済史などの経済系の勉強をしている内に、島田療育園の問題の大きい根に経済があった事も判り、今は食の分配システムの事にも気が付いている。まさに、社会変革のヒントですね。
因みに、ハンセン氏病関係も本当は根に経済問題があるはずですが、多磨全生園では職員ストの話は聞かず、肉親と離れた話ばかり聞いたから、こっちはいくら勉強しても社会変革のヒントは得られていません。僕が島田の小説は書け、全生園は書けないのも、ストの話の有無につきます。肉親から離れたさみしさから小説が書けるのでしょうか。わかりません。