＜『史上最低の侵略』その３７＞
ＭＦ

take-37

December 1st 11:00

「さあ、最後の仕上げに取りかかるぞ……」
　星川重工業の跡地に隣接する旧七海重工第二工場の地下深く、起動したインペライザーの小山のような姿を前にオスカーがいった。だがそのイマイチ力の入りきらない声をかき消さんばかりに盛大に鳴る腹の虫。とたんに弟ドリアンの腹も負けじとばかりに鳴り渡り、へなへなとくずおれそうになる一週間飲まず食わずの宇宙人たち。だが頬も削げた侵略者たちは必死の形相で足を踏ん張り身を立て直す！
「が、がんばれ。あの二体に注入するオイルはそれだ……」
　よろよろとタンクに近づくや、苦心惨憺しつつもフタを開けた双子のサロメ星人たち。だがフタを床に置く兄をよそに、弟はタンクをのぞき込んだまま身じろぎもしない。オスカーも不審に思い、弟の隣にやってくる。
「どうした。なにを見ている？」
　返ってきた声は魅入られたようだった。弟の声とは思えぬほどだった。
「兄者……。オイルがカレースープに見える……」

　いわれて見下ろした兄の目が捉えた飴色の液面。サロメ印の超高性能マシンオイルであるはずのそれが、だがもうオスカーにもそうは見えなかった。選び抜かれたカレー粉を極上のコンソメで溶かねば出そうにないその色艶！　それが分かり易すぎる味ゆえ忘れることなど不可能なカレーの記憶を残酷に掻き立てた結果、眩暈に襲われた兄はタンクの縁にしがみつくのがやっとだった。そのとき再び耳に届くドリアンの陶然たる声。
「ああ……、カレーの匂いだ……」

　オスカーも嗅ぎつけた。機械油の刺激臭に微かに混じる、まごうかたなきカレーの匂い。それは強烈な機械臭にも打ち消されるどころか、かえって己が存在を慎ましく、だが確たるものとして訴えかけるとさえ感じられた。それはその仄かさゆえに、外なる刺激臭と内なる飢餓の刃になます切りにされた心身を幻惑させ、かいま見る楽園の幻を希求させずにおかなかった。いかなる聖者も堕落させずにいない悪魔の誘惑さながらの破滅的なまでのその香ばしさに、もはやドリアンの漏らすため息は魂を毒する蠱惑に染め抜かれようとしている！
　それが兄を、一人であれば陥っていたはずの奈落の縁で踏み留まらせた。誘惑に屈しつつある弟の姿が、失せつつあった理性をからくもつなぎ止めたのだ。背後から必死で掴みかかるや、兄は有無をいわせず弟をタンクから引き剥がし叫ぶ！
「それは幻覚だ。惑わされるなドリアン！」
「は、放せ兄者！　放してくれえっ」
「馬鹿野郎っ」
　もがき暴れるドリアンをついに殴り倒すや、弟が取り落としたタブレットでインペライザーに指示を出すオスカー。ひと足先に完成していた黒き機神がやおらタンクを掴み上げ、赤く塗られたウルトラ戦士たちの背後の注入口から飴色の機械油を注ぎ込む。呆然と見上げていたドリアンだったが、やがてがくりと膝を落とすと顔を覆いむせび泣く。
「なぜ放っておいてくれなかったのだ。兄者よ、どうしてこんな惨めな現実へ引き戻した……」

　そんな弟に、だが己が手で甘美な幻影を打ち砕いた兄もまた、すぐには声をかけることもできない。やっとのことで絞り出せたのも、名状しがたい喪失感を隠せぬ言葉に過ぎなかった。
「……この兄を恨みたくば恨め。だが今だけはその恨みも辛さもなにもかも、憎きセブンの小倅に叩きつけようではないか」

　そのとき二人の耳朶を打つ監視モニターのアラーム音。映し出されたＢ・ｉ・Ｒ・Ｄジャパンの誇る特殊車両グレイハウンド。瞬間、オスカーのやつれ果てた顔が餓狼のそれへと一変する！
「来たかＢ・ｉ・Ｒ・Ｄ！　ならば貴様をセブンの倅を釣り出す餌にしてくれるわっ」
　その絶叫に、俯いたままのドリアンがびくりと肩を震わせる。そんな弟に歩み寄り、兄はタブレットを差し出すや叫ぶ。
「立つのだドリアン。この兄とともにみごと修羅道を駆け抜けてみせよ！」
「駆け抜ける……兄者とっ」
　気力だけで立ち、タブレットを受け取るドリアンの鬼相！　その殺気たるやウルトラ一族と戦ったいかなる怪獣や宇宙人にも並ぶものはないと思わせずにおかぬものだった。仇敵への憎悪の焔が飢餓ゆえのやり場なき憤激に煽られた結果、ついに眼前の敵への見境なき滅殺の刃と化したのだ。それを食い物の恨みだの八つ当たりだのという卑小なる言葉で語るなら、しょせん飢えの恐ろしさも知らぬ幸せにして愚かしき者との誹りを免れまい。

　けれど彼らは気づけなかった。カレーの香りが決して幻覚ではなく、飢えの刃に研ぎ澄まされた嗅覚が本来気づけるはずのない僅かなカレーの混入を嗅ぎ当てていたのを。憎むべき昆虫人間の犯行を見逃したあげく、心血を注ぎ完成させた二体のロボットにそんなオイルを己が手で注入してしまったのを！



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