「弱い人と友人にならなければならない」。英訳すれば、mustという言葉が入るわけですが、会則にそのようなものが書かれてあった福祉会を2つ僕は見ています。それに従い、ハンセン氏病療養所にも2会共、行きました。でも、どちらも早く潰れました。また、2会は非宗教会でしたが、個人的にそのように思い、障碍者や元患者、部落や在日の人たちに関わろうとするクリスチャンや仏教徒もいますが、中途半端な関わりで相手に怒られて早く止める例ばかり。それらの人たちは次第に友人付き合い自体が大嫌いになり、誰とも付き合わなくなる例が多いです。その何がおかしいのか。
MUSTですね。友人になるのは双方の自由意思。付き合いたいという気持ち。かたくなな義務感ではありません。義務感で対すると、気持ちが自分だけに向き、相手の個性や話も見聞きできなくなる。ならば意思疎通できず、ケンカにもなるではないですか。一人相撲。MUST入る事は、友人という言葉と矛盾もします。会則が悪い。
さらに言うと、全ての愛、文などの創作活動も同じ。恋愛も双方の自由意思に基ずくものですが、結婚し、次第に愛の自由意思が薄れ、「愛さなければならない」と一方でもそう思うようになると、以上と同じになり、相手も見えなくなる。疲れてイヤにも。世界的な離婚のメカニズムの一つですね。
小学の時、僕は作文が苦手で白紙回答もした事がありますが、同じ事が言えると。学校とは言え、MUST的に書くものは本当は文章ではないわけです。自由意思こそが文の根本なのに。
介護の仕事も自由意思。より良い社会造るのも。「友愛社会実現」という言葉をよく目にしますが、それ以前に個々人の自由意思尊重を社会としてもしないとどうにもなりません。自由意思に基付かない友愛社会を作っても、しまいには僕の見てきたような、付き合いも嫌う人間が何百万人も生まれるだけで、恐ろしい事になると思います。逆に、自由意思を尊重したら、すぐにでも友愛社会はできると思います。
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自由意思は本当はものすごい力を持っています。それにほとんどの人たちが気が付けば、権力者やカルトに従ったり、集団行動する事もないわけですが。また、全ての愛と友情の根も双方の自由意思です。