島田小説を書き始めたのが2018年5月。その少し前から園生や職員一人一人の個性を投稿文や個人宛メッセージに書くようになっている。確かに、一くくりの書き方はおかしいですからね。お読みになった人達は最初は判らなくても、次第に彼らの個性も判り、認めて下さっている。その書く勢いで、元患者の伊藤まつさんの個性もよく書けるようになりました。
もっと大事なことは、僕自身の個性もそれまでになく、「書ける・出せる」ようになっています。気が付きましたが、一昨年からフェイスブックで多くの友に恵まれたり、僕のことを好きになって、恋人になって下さる女性が多く出てきたのも、社会の変化もあるかもしれませんが、以上が一番の理由でした。
2017年以前の僕は、若い時に入っていた世田谷・身障会と
VYS会の話が多かった。でも、この2会のメンバーの個性は僕も見えていません。一方は会員が「障害者として○○する」、もう一つはその会の難しい理念に従っての発言や行動ばかり。おかしかったわけです。生きるのも、何かするのも、どこかに行くのも「自分」ですよね。障碍者とか会理念がするわけでもない。障碍者や理念なる人物なんていませんし。どちらも早く潰れましたが、当然です。その2つの場ではまともな恋愛はなかったし、本当の友情も生まれませんでした。友情も、恋愛も双方の個性から生まれるものです。また、個性こそ社会変革の根本ですね。その2会とか、組織にこだわる例の教会関係からは小説は書けません。
さらに言うと、これまでの社会全体、福祉政策と福祉関係も個性尊重が欠落。だから、ライ予防法とか、一からげに扱う施設が作られていたわけです。教育関係にも言えるし。愛と福祉、教育も個性尊重から始まります。
島田小説を始めて、例の教会以外の、過去の因縁を僕は振り切っていたわけですね。良かったと思います。