文芸誌、やめました。すでに種切れ。詩や俳句の趣味はないので、随筆で光明養護学校時代の事を書いてきましたが、林間学校などの断片的な事しか、書けなかった。断片的な書き方だと一面的だから、誤解を生み、良くないわけです。書くならば小説ですが、光明養護学校に対する問題意識は僕は低いので、小説で学校関係の事は書かないわけです。また、どっちみち、スペースの関係で小説は文芸誌には不向きです。
それを始めたのは2016年か17年。前も話した通り、フェイスブックやミクシー交友が行き詰まり、ネット関係の限界と当時は思い、随筆を深めるために始めました。その後、18年5月から例の小説を始め、そうしたら次第に皆さまとの関係も良くなった。フェイスブックは勿論、ミクシーなどでも。一方、最初は文芸誌でも注目されましたが、交友手段が郵便に限られているので、日常的に付き合う=友人ができなかった。もう文通は時代遅れです。また、毎日フェイスブックやブログは簡単に投稿できるのに文芸誌はたまにしかできない。それでかなりのお金もかかる。今はすでにかなりの通信誌がネット関係に統合され、印刷されなくなっていますね。時代の流れです。(因みに、前も話した通り、フェイスブックなどが行き詰まった理由も、僕の個性を書かなかったためでした。林間学校などを断片的に、ならば、文芸誌の場でも個性は出ないわけですね)
ただし、子供向け随筆のボランティアは続けます。随筆文は児童向けに適していると思います。
(「文通は時代遅れ」からも郵便は斜陽産業である事が判るし、それを民営化しても経済は良くならない事も誰でも判りそうなものだと。小泉改革は本当におかしかったし、それを支持した国民はもっとおかしかった)