例の教派の旧友の一人から三人にメールで再交友をしたいです。ただし、成果は一切公表しませんが。無論、教会組織絶対化に反対の考え方の人に限りますが。
その教派はもう終わりです。レイプ事件で崩れるとは誰も思わなかった。確かに、僕はレイプは女性たちの心を殺す行為だと理解しているし、教会組織主義にも元々反対。でも、その二つの大きな根に「自分が見えない・判らない」があるはずなので、それは教派の人たちと僕も共通していますね。僕が早くから自分が見えていたら、その組織主義のおかしさは勿論、レイプの可能性大も察して、彼らに指摘していたはずなのに。五十歩百歩。見下せないと。
聖書によると、元々の教会の意味は「二人以上の祈り合う人たちの集まり」であり、組織でも、建物でもありません。もし、再交友できてお互いに罪や至らなさも認め合い、祈り合い、神に許しを請う関係が作れれば、例え相手が一人でも、僕は真の教会を得た事になり、その教派に入って良かった、洗礼まで受けて良かった事になります。日本の習慣に従い、葬式は仏式を希望しますが。
その教派はそれまでなじんできた無教会派とは違ったので違和感を持ち、早くに止め、しかも後年は牧師3人の不祥事。釈然としない気持が二重にありましたが、再交友できれば、成功だった事になるわけですね。