民間主導の共生運動挫折の話を60年代後半から僕はたくさん聞いてきた。また、80年代に行った例の教会関係では僕もそのような話し合いもしたが、構成員がケンカして挫折。身障関係、知的障碍、高齢者関係であれ、ケンカからの挫折が多い。大きく見れば、島田療育園もその一つ。施設・在宅の別はない。「役所主導の福祉は金ばかりかかり、冷たくてダメ」という各構成員の一致した見方があり、連帯もしたのに、果ては以上。僕も教会関係の共生運動挫折経験があると言おうか。
父が天国に行き、当時の役所主導の障碍者支援法を受ける時も、教会関係にしろ、その他の福祉会にしろ、共生自立生活が早くにできなかったか?と悩み的に思った。
各以上の答えも出たね。各人が自分が見えず・判らず、交友や関わり合いもできない状態だから。それゆえ、役所主導になる。友人という言葉もきらい、役所一辺倒の障碍者や高齢者も多いはず。そのような挫折は明治からあったようである。歴史に埋もれたと言おうか。
無論、この状況をこの僕も作っていたわけである。でも、アメリカみたいな戦争はしなくても、日本国の力も先細り。今までの延長ではどうにもならないわけだが。立場の別なく、多くの日本に住む人たちが、一刻も早く自分を知り、判る事を願うばかり。
さて、今の僕はどれだけ、大きな自分が見えているのだろうか。(自分が見えないは明治以降の日本人の問題。世代に関係ないし、年取れば悟るというものでもない。自分がよく見える人は異なる世代の者でも付き合えるし、異性ならば恋愛もできますよ。「世代にこだわる」も、明治以降の日本人の困った面だね)