トシコロ

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トシコロさんの日記

2021年 12月11日 16:45

自分

(Web全体に公開)

自分が判らない・見えない者同士が関わり合っても友人にもなれない。仏教に詳しく、未來洞察も得意な一人が「これから、日本から友愛に基づく共生社会になる」と言っているが、そうなるとすれば、日本人一人一人が自分を知り、取り戻すことから始まるね。
  判らない・見えないよりも厄介な状態があろう。「私=○○」と独断すること。「私=身障者」。「私=教会組織」。「私=何かの福祉会」。「私=○○教」と思う人たちも多かった。当然、「私=恋愛や結婚」と思う例も多いと思う。「私=育児」とか。1964年の東京オリンピックのマラソンで銅メダルを取った日本選手が走れなくなり、自殺した事もあったが、その人は「私=マラソン」と思ったようだ。それらはその人の一部にしか過ぎないのに、自分の全てとも思いこむ。僕も一時そうなったこともあるから、判ると。無論、そのような人たち同士が付き合っても、付き合えない。
 明治からほとんどの日本人は自分が判らない。そこに日清戦争が始まり、報道を聞き、次第に「私=国家」と思う例が増えた。これが日本ファシズムの始まりではなかったか。恐らくは天皇や政治家、軍部も。特に陸軍はひどかった。対米戦争中は、身障者やハンセン氏病患者も戦争賛美の詩歌などを。「私=軍隊」と思ったようである。
 今はどうか。コロナを科学的に理解するのならば良いが、やはり、「私=コロナ撲滅」と思う人たちがかなりいたら、問題である。
 自分が見えたら、そのような者同士でいくらでも友情ができ、異性ならば判りあえる。僕もそのような事も判ってきた。また、自分・他人の別なく、過去の苦悩の原因も自分が見えなかった事が。良かったし、自分・他人の別なく、ケンカの原因もそのような事だと。ロシアでも、1849年の農奴解放。それは良いが、後は資本主義化で自分が判らない人たちが増えた。明治維新後の日本も。日露戦争の根の一つもそれかもしれない。自分が判る人たちが明治以降の日本で多ければ、戦争とハンセン氏病収容はなかっただろうに...。(誰でも、「自分」は本当は大きく、魅力的、力あるものであろう)

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