「ヒットラーの謎」を書いて気が付きましたが、僕は僕の心が判っていないね。ヒットラー以上に自分の心が判らない。内観関係の本を多く読んでもそうだった。恐らくは今の地球の全ての人たちがそうではないかと。また、大槻・早稲田大物理学名誉教授は「心理学は物証に基づくものではないから、科学ではない」と語っている通り、根拠もなく、学者によって見解も様々で理屈も多い。心を知る為、心理学も僕は学びましたが、期待したものは得られず、いつの間にか、その学びは止めています。
思えば、若い時からの僕の迷いも自分・他人の心が見えない・判らなかった事が根本原因でした。同じ事を複数の旧友からも聞いています。心が見えなければ、愛も、友情もない。それ以上に社会変革もできない。特に若い時は、社会変革を叫ぶ人たちに不信感を持ったものです。そう叫ぶ人たちも自分・他人の心が判らず、その結果、他人との関係もうまくいかず、大ゲンカを起こした例も見ました。恐いです。本当は、まず「自分の心が判らない」と気付くべきなのに。(「労働者の連帯が社会変革を起こす」と資本論にあるが、その連帯とは何なのか。心も判らなければ、連帯も判らないわけだが)
一聴障者は「ろうあ者の気持ちはろうあ者しか判らない」と言い、僕含む、耳の聞える人たちはショックを受けた事があります。今ならば、その人に「自分の気持ちは判っているのか」と質問しますね。それよりも大きな事だから。また、島田身障園生M氏は70年代半ばから「今は島田の心が失われている」と人体実験やストの多発する状況を嘆いていた。経済困難と並び、心の危うさもそうなった要因ですね。ならば、政治面でもヒットラーの謎が解明されず、ポル・ポト、チャウシェスク、マルコス、フセイン、麻原彰晃、ビン・ラディンと次々と独裁者が現れるのもわかる気がします。
量子物理学が近年は発達。心・意識・命・愛の問題も科学的に解明されつつある。その学問は難しいですが、それを僕も本を読み始めています。それが発展すれば、真の心理学も起き、人々は自分の心をまず知り、他人の心も知り、ケンカしなくなり、次いで差別のメカニズムも判り、対策も立てられ、差別は消え、政治面でもヒットラーみたいな者とか、戦争や植民地化のメカニズムも判り、真の日韓、日中、南北朝鮮和解、拉致者帰国にもなるかもしれない。更には、家畜殺しの件にも及ぶと。僕に限らず、全人類が期待していた学問もそれかもしれないと思うわけです。科学が全てではないにしろ、大切な事を系統的に知ることは大切ですね。
(「自分の心が判らない」に気が付いたのは僕は中学からでした。同様の同級生も何人もいました。1921年生まれの父も退職後は似た事を言い出し、老年大学にも行くようになった。また、島崎藤村の「春」にも明治後期の若き日に同じ悩みが記されていました。夏目漱石も諸々の小説に。自分の心が判らず、何かを求める。江戸時代以前は判りませんが、明治以降の日本人の共通の問題でしょうね。世代は関係ありません)