ある人からの話によれば、教育勅語の案は「井上穀、元田永孚が、国家的儒教を基に作られた」そうです。それを当時の天皇の名の下に。しかし、僕は1983年にプロテスタント系の一牧師から「キリスト教を利用して作られた」と聞きました。当時の日本プロテスタント系の見方の一般的なものを語っていたわけですね。草案者の名前については、残念ながら僕は覚えていませんが。歴史の見方は常に変わる。草案者の名前は変わらなくても、教育勅語の草案の源については、歴史的な検証も難しいわけだし、井上たちの心の内面の問題なので、諸説があるのも当然でしょう。
ただし、以上は問題の枝葉ですね。仮に儒教だったとしても、まさか儒教も「仲よく」という内向きなものではないでしょう。和合とは根本的に違うようです。何よりも、日本よりもはるかに儒教色が強い、植民地下の朝鮮半島の人たちが教育勅語を非常に嫌ったことが何よりの証拠です。儒教が本当に内向きなものならば、中国・朝鮮の社会は成立せず、歴史もありませんよ。
問題点は、本当に内向き志向ですね。その場合、個人も、何かの集団も伸びないわけです。人間はもっと他者、他の生物にも意識を向けないといけません。特に、対植物。開発のため、自然破壊や公害廃液垂れ流しも。ひどいと思います。植物にも命があるから。恐らく、植物にも心はありましょう。...・