「共同体」と言っても、何も村みたいに多人数のものだけでもない。早い話、二人が出会い、意気投合し、親密になる事も「共同体」である。親友関係・恋人関係・夫婦も「共同体」には違いない。
ならば、世界的に多い離婚や非婚も根本原因は「共同体知らず」ではないのか。ケンカや殺人が多いのも、学校で児童、生徒が友人を作れない理由の一つも。もっと深刻な問題として、子供が殺人をする例が(1970年代からだろうか、詳しくは僕は知らないが)後を絶たなくなっている問題の根も。
とにかく、共同体知らずの問題は極めて大きそう。そう言えば、クリスチャンの一人が「教会も組織である。絶対性はない。結婚も、一種の組織を作る事だ」と80年ごろに言っていたのを聞いた覚えがある。確かに、歴史を見ると、教会はそうであり、十字軍戦争も起こしたわけである。現実的にはそれはそうかもしれない。でも、夫婦も組織なのか。おかしいが、組織と共同体の区別が付かないとこうなるとも考えられる。こう言っている僕も、共同体知らずだった時に誰かと結婚したら、うまくいかず、大ゲンカの後に必ず離婚したと推察している。誰にとっても「共同体知らず」は恐ろしいと思う。
追伸として
元島田園生の野口栄一君とは、今思うと、共同体関係を作っていたと思う。自然に付き合い、彼が天国に行くまで文通もできた。付き合っていた時は共通の目的を追求す事もなかった。その果てに、「小説書き」を僕は。共同体は後で非常に大きい目的が見つかるものかもしれない。「個人と個人」だけでも共同体は可能である。