1976年秋。某福祉会の機関紙。愛媛出身の当時の学生が、郷里の近くにある被差別部落の見聞記を投稿。その中の様子を伝えた。だが、彼らの中の大まかな様子を「ナーナーに何事もしている」と進歩がないとも受け取れる書き方をしていた。世間の差別・人格を認めないなどの根本問題は少ししか書かないで。更には、一くくりの見方もおかしかった。それゆえ、あと、しばらく僕は「ナーナー=甘え。甘えているから、封建時代以来の差別を彼らは跳ね返せない」と誤解した。その誤解は83年に教会関係でその差別の実態を知らされるまで続いた。教会関係で、その文の中途半端を知ったわけである。
本来ならば、世間の人格無視の壮絶な様子から書くべきである。子供の時から学校や地域で子供同士でさえも人格を消されたような付き合い方を強いられ、卒業後に勤め場や教会、お寺の中でも同様にされ、それ故に恋愛や結婚の相手にされない様子を。更には、自分がそのような人の異性から求愛された場合の問題とか、自分の子がそのような人と夫婦になりたいと言い出した時の問題とか。それはまさに「世間問題」であり、「自分問題」なのである。そのような被差別者同士の様子を伝えても、何のためにもならない訳である。僕がそうだったように、誤解する人も多く出るわけである。又は、そのような人たちを1くくりに見るとか。それも差別である。そこに限らず、福祉関係でも、何でも、「見たものを伝える」事に何の意味があろうか。ないと今の僕は思う。恐らく、そのような書き方ならば、新聞投稿しても、没になるのではないか。会の機関紙という無責任なものだから、投稿できただけで。
更に、以上を深く追求すると、明治以来の人格や人権認めの問題にもなってくる。戦前まであった徴兵制と赤線の問題は言うまでもないし、戦後もどれだけその2つを認め合っているのかと。経済性優先は一例だし、日常の付き合いもどれだけ2つを認め合っているのか。その会でも、例えば、S園やどこかの児童たちを一くくりに見る見方が根強くあり、問題だった。当時、僕はその会に入った所だったが、役員クラス含む、会員からしきりに障碍児教育や統合教育についての見解を聞かれた。教職課程も取っていない僕に判るわけのない問題であり、当時から変に思い続けたが、どうもかなりの会員は僕を光明のサンプルとして見たようだ。それもおかしかった点である。
因みに、人格が認められない事は極めて辛く、人間扱いされない事である。そのような場合、人は百%近く、猛烈に落ち込み、無気力になる。その場合、甘えとかナーナーなる自我さえも持てなくなるわけである。それ故、以上の「ナーナー」は非常に間違った見方だと思う。「進歩の前進もできなくなっただけ、人格無視により、無気力にさせられている」と表記しないといけない。「ナーナー」は使えない言葉である。また、人格無視されると、落ち込んだ果て、精神病になる例も多いわけである。でも、精神病にかかると病院か家の中にこもるから、見学しても判らないわけである。「見学して世間に伝える」という手法は非常におかしいし、会報とかミニコミでは世間に訴えるものは書けないとも思う。本当ならば、問題意識があれば、新聞社に勤めてそこでそのような責任ある記事を書くか、もしくは、作家になり、作品に盛り込むかのどちらかを選ぶわけだが。今の僕の問題にも通じる事も出てくるわけである。