例のX君の事は78年2月にVYS先輩たちから聞き、初めて知った。当時は「情緒障碍」。でも、「どんな障碍でも、友人になれば一緒にやれて、彼の問題も解決できる」と思っていた。また、VYSの気風もそのような発想だったし。それで高大生や恵園キャンプに行く気になったと。
確かに、ハイキングとか初詣に彼とも一緒に行けて良かった。楽しかった。でも、最終的には追い出した。友人になるだけでは共に生きられないよね。追い出したのは82年早春だったが、それは僕にとってはVYS以来の以上の友人主義が崩れた時でもあった。そして、変な教派だったが、キリスト教に行ったり、後は放送大学やNHKで勉強するようにもなった。学べば学ぶほど、以上の友人主義は甘かった事にも気が付かされた。以上の友人主義は極めて甘く、僕もどこかの時点でトラブルして挫折する必要があった。それがたまたまX君の件だったと。それ故、僕も彼と出会って良かったわけだが。
X君と共生するには、まず、彼の主治医に医学的な事を聞き、それを知る事だね。そして、多くの人たちにもその事を知ってもらい、発作の時に全ての人々に対応してもらえるようにする。無論、病院関係にも働きかけて。彼の問題を本当に「社会化」させる。その路線で結構。でも、一部の人達だけが友人になり、問題を抱え込む事はしない事。そうした場合、必ず、共倒れになるから。また、友人関係とか仲良し関係は私的なものだから、そこから社会化して行く事は不可能だと今の僕は見ている。今の僕なら、X君にも個人的な友人にはならないがね。もし、彼に法的な問題があった時は旧友の弁護士さんを紹介するわけだが。
「社会化」みたいな事も、色んな勉強しないと理解できない事だと。
季節柄もあり、彼を思い出したので。彼のお陰で僕は学べた。感謝している。