旧約聖書によると、サタンにそそのかされ、何かあり、原罪持ち、「男は労働、女は妊娠の苦しみが与えられた」。
気が付きましたが、大家族制・マイホームの別なく、結婚において求め合うものはそのようなものが多い。男が求める顔やスタイルの良さはセックス、つまり、妊娠につながるし、女が求めてきた高収入などは労働の結果。それらの求め合いは愛とも違うわけで、皮肉に思います。
東アジアでも「結婚はカルマ消しのため」と言われていますね。
多くの夫婦見てもそう思います。ケンカしながら原罪やカルマ消すような。
でも、それらは消極的で内向き。もっと有意義な男女愛もあると思います。
昔入った複数の会でも結婚は話し合われなかった。もし、話し合えば、男も女も相手の原罪求めていることがわかり、大変なことになったね。結婚否定の意見も出たと思う。話せないね。
同様に仲間意識・仲間関係も、自分たちさえよければそれでよいという原罪が根。クリスチャンほど、尊重が多い。世界的にそうだし、現代クリスチャンには原罪見ない例が多いかもしれない。原罪見つめ、孤独にもならない限りは隣人愛も出ないが。
1950、60年代生まれ夫婦のかなりは我が子を非常に可愛がる。子を通した関係が多い。でも、子のできない夫婦に離婚が目立つ。今から想うと、それはマイホーム崩壊の始まり。
その後は子連れ離婚が当たり前に。一緒にかわいがろうとしてもすれ違いからケンカに。
子を通した夫婦もまともな愛でもない。原罪を求め合っての夫婦なら寂しく、離婚にもなるね。