戦後昭和にほとんどの身障者が施設を嫌い、反対運動も起きた。理由もやっと見える。当時はどの施設や、施設的な養護学校は、大家族制を無理に模したものだったから。これが根本。多くの身障者が述べた自由欠如や恋愛禁止もその一現象だった。昔の施設を企画した人たちには、「人は家庭の中に愛があり、幸せになる。だから、施設もそうしないといけない。家庭的でないと、職員は介護できないし、園児間もうまくやれない」という思いがあった。島田療育園にもあった理念である。
でも、元々家族や親戚でもない人たちが家族のようにできるだろうか。できないし、ものすごく煩わしい。強制的にさせると喧嘩にもなる。ムリであり、自滅や改革になったと。平成になり、以上はなくなり、個室化も進み、夫婦室でさえ作られ、今は反対運動はない。恋愛も認められている。
皮肉なことに、施設反対運動していた身障会も会長を中心とした大家族的。ムリに仲良くなろうと酒の会も多かった。障碍の有無に関係なく、恋愛は少なかった。福祉会、ボランティア会、多くの会社、政党、左翼や新左翼、宗教関係と、当時の日本社会はそうだった。わずかに映画の寅さんみたいな人とか、無教会クリスチャン、離婚者などが溶け込めず、社会批判した。
家庭に愛があることは短絡的で、幻覚でもあったことは最近分かってきた。愛がある家庭もあれば、ないのも。一概には言えず、家庭形式をまねた施設や社会はおかしかった。...真似はよくない。
因みに、「もともとの他人が家族になろうと」は夫婦も同じ。昔の施設問題と離婚は何か共通しているし、カルトや政党にも共通しているように見えて仕方ないわけだが。また、「結婚」は深い男女の魂の結びつきを指すことであり、以上の問題とは別にみる必要があろう。マイホーム作らない夫婦が増えても当然に思う。