一生男女愛に無縁だった島田の身障園生たち。原因は世間では身体障碍のせいと言われ、当時の身障者たちは施設という状況のせいだと思っていた。今の僕が思うに、以上2つは間違い。
恋愛=結婚=マイホーム作りという当時の世界の短絡的な見方が根本原因、園生たちでさえ、そう思っていた。そうではなく、心の深いふれあいの魂のゆさぶりの真の愛を求めあう交際ならば、彼らの絵や詩、随筆、童話から、または、生きる姿勢から絶対に恋人出来た。マイホームは不可能でも、例えば、通い婚などの結婚も考えられたね。解決はできた。
「為せば成る。ならぬは人の...」と言われているが、ならぬ時は枠外思考が足りない証拠。今の常識にとらわれぬことだね。常識は社会変化で常に変わるものだし。
また、結婚も魂の結びつきならば、本当は役所が管理する事だろうか。早くからそれに疑問持つ東大法学部の人の話も聞いたもので。彼は同世代の人たちの事を「恋愛はただ好きになる事なのに、世話がうまいとか、経済的将来性とか、条件を付けすぎる。身障者たちでさえも。おかしい」と疑問呈していた。その通りだし、当時の交際はマイホーム作りのビジネスに過ぎず、恋愛でも何でもなかった。そこからは幸福にはならないわけである。