今はどの国も地域社会が疎遠で、誰も友人も作れないが、その一因も地域恋愛が廃れたからもあるかも。
日本について言えば、古典落語の通り、不倫含め、地域恋愛が盛んだった。武士は恋愛自粛したかもしれないが、庶民は盲人や身障者含め、たくましく恋愛していた。その気風は大正くらいまであった。大正期の身障の男の一俳人の富田木歩の記録を花田春兆氏は残したが、彼は結婚はしなかったが、活発に地域恋愛し、複数の恋人を持ったそうだ。
それが理由は判らないが、戦後は地域恋愛は廃れた。ならば、人々の地域の話題もできないし、商売目的でもない限りは地域に誰も目を向けない。昔、地域社会作りを志す人たちの声を聞いたが、以上の問題には気が付かなかったようだ。でも、こみにてぃ作りの根も恋愛とするのならば、以上ではないか。コミニティとか友愛も恋愛話の延長に思える。恋愛話のないコミニティは確かに堅苦しくてつまらない。SNSの中で僕は一番フェイスブックしているのも、求愛され、恋人になれ女性たちが何人もいるからだし。そのような相手がいなければ、やる気も起きないわけである。
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1980年前後の首都圏では、地域コミニティつくり運動が盛んでしたが、早くに廃れました。以上には気が付かなかった当時の僕ですが、実現性に疑問を持ち、また、近隣の人たちと友人になる気もなかったため、加わらなかったわけです。地域コミニティを論じた人たちは、恋愛に限らず、愛の大切さを考慮していなかったと、後年、新旧聖書を読み通し、思ったわけです。