1910年、朝鮮王国は当時の天皇の名で植民地化された。法的には、そのようにしたのは天皇になる。中学か高校の教科書に「朕ハ朝鮮ノ民を限リナク愛撫ス」と書いてあったことを覚えている。しかし、1945年の独立の時も、天皇の植民地終了と謝罪のお言葉がなかった。今に至るまでない。韓国の人たちの気持ちはどうだろう。植民地化のマスターの宣言がなければ、それへの気持ちの区切りにはならない。やはり、天皇の名で開戦したため、アメリカや中国に行き、謝罪に近いお言葉を述べられ、それらの国の対日感情が好転したように。同じことを韓国にすれば、気持ちの区切りにもなり、日本へのハン(恨)も昇華できる。ところが、天皇の訪韓は今は不可能。言うまでもなく、北朝鮮。訪韓すると、同じ過去があるのに、韓国に肩入れすることは許さないと。新日韓同盟とも見て、何するか、判らなくなる。天皇訪韓や日韓和解は南北関係次第だろう。日中関係よりも難しい。(ここまでは天皇や皇族、宮内庁や外務省の役人たち、与野党政治家、国民のかなりも判っていると思うが)
1910年の時点で彼らの心の時間は止まったようなものである。例えば、交通事故や失恋など、個人でもある時点で心が止まったような人もいるが、それと同じで。
本当に天皇訪韓が実現すれば、日本人も心に大きな変化があるはず。戦前の記憶が一気に戻り、役人たちが天皇の名で人民を支配し、江戸時代の歴史を葬り去ったことも出てきて、社会は変わるかもしれない。
ところで、ロシアの対ドイツの気持ちは悪いままである。対ソ戦争を宣言したヒットラーは死んでしまい。謝罪する人がいないからである。僕の行った教派は、戦前は天皇の名にただ゛従い、戦争協力。戦後は次第に天皇制廃止。どちらも無責任の極である。天皇制を早く廃止したら、誰がアメリカや中国に謝罪するのか。ドイツみたいに、アメリカや中国に恨まれたままにもなりかねない。無関心と並び、無責任も愛の反対と言わざるを得ない。その教派は潰れつつあるが、思い出すと愚痴も言いたくなる。