戦争の話を僕の青春時代にしたか?を思い出してみました。まず、入っていた四つの福祉・親睦・身障会ですが、三つの会では全然話さなかった。無関心だと思われる人たちもいた。議題では出なかったものの、一つの学生福祉会では、個人的に話す人たちもいた。ただし、関心ある者たちも「戦争は権力者が起こした。日本の対中国やアメリカは日本の権力者、ベトナム戦争はアメリカの権力者が悪い」。さらには、当時の養護学校義務制化も「権力者である文部省が養護学校作り、障碍者を社会から隔離させようとしている」と言い出した。無関心よりは増しにしろ、そのような考え方では、島田療育園はもちろん、障碍者問題のすべてに対応できないので、当時の僕もおかしく思いました。また、戦争にしろ、教育にしろ、そのような話し方では深入りできないので、僕も戦争の根について、一緒に探れなかったわけです。
それから、45年。昨日書いて気が付きましたが、戦争の根の探求も、青春時代に本当はやりたかったことをパソコン使い、今しているわけですね。「傲慢は大罪」とか、「戦争の時とは違い、一人一人を大切に」など、福祉や教育はもちろん、我々人間の生き方の基礎も学べます。友情や恋愛にも通じる。これからの人生向上の参考にもなる。恐らく、4つの会の人たちのかなりもそのような探求をしたかったと思いますが、平和ボケならぬ、当時の日本の高度経済成長ボケと、狭い仲間関係に目が行き、社会や歴史に目が行かなかったせいでしょう。でも、これからでも、探求すれば自分を豊かにし、社会も改革できるわけです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上にしろ、恋愛や友情にしろ、若い時にできなかったことを今していると。