小説書き。これから島田療育園の身障園生間の会話を始めて書きます。彼らは会話が苦手でした。全生園の元患者たちも。でも、当時の多くの学生ボランティアや身障会の人たちも同様。本当に役員だけが話していた。当時の日本人の風潮かもしれません。島田の職員同士も、会話を書かなければ、島田の説明になりませんから書いていますが、実際は会話に乏しかったです。ヨーロッパに旅した旧友は、80年ですが、「フランス人同士など、同じ言葉を話す人たちも、日本人以上に会話しない」と証言。
しかし、1970年前後の若者たちはよく会話した。思えば、ベトナム戦争の事でした。小説やドラマから判りますが、日清戦争以来の日本人は戦争だけが会話を盛り上げてきた。戦後もそうかもしれません。ベトナム戦争の時は典型。かなりの国々がそうかもしれない。でも、古典落語では、江戸時代の豊かな会話も出てくるのに。いつの間にか、会話を忘れたと。戦争のほかは、疑似戦争かもしれない、野球やサッカーの会話くらいで。ベトナム戦争の時は、それで会話が盛んになったから、全学連運動にもなったとも思いたくなるほどです。
以上も大切なことかもしれない。根が深そう。今は日本中のかなりの小学から高校まで会話に乏しく、友人も作れない子が多いと聞いています。戦争だけの会話はおかしいわけですね。