個室がない昔の施設の入居者たちは、周囲に人が常にいるのに「寂しさ」を常に訴えていた。後年、複数の既婚者から、寂しさの声が。アメリカ映画でも多いね。
非常に複雑な心理問題だが、どちらも「愛の欠如」で共通。これが根だろう。内、施設関係は恋愛が不可能だったこと。旧友の話では恋愛禁止の施設もあったし。
既婚者の件は恋愛結婚して愛が冷めたり、最初から結婚憧れ婚をして、愛が生まれなかったり。どちらも愛がないには違いない。
施設だが、80年前後、福祉団体役員から間接的に聞いたことでは、身障・高齢の別なく、「寂しさに応じるな。応じれば、相手をもっと寂しくさせる」と注意された。同情や仲良し関係からは、人の持つ寂しさは消せない。一方、友人関係は一緒に真理や社会活動を追求した結果の絆であり、そのような人たちと友人になることは難しい。ボランティアや身障運動を超えた大きい問題。また、理解されにくいが、既婚者の寂しさも施設関係と同じだけ、問題は大きい。日本だけでもない。愛の欠落の原因はアメリカやイギリスでは資本主義=お金がすべてという発想が原因だろう。日本やロシアもお金の件もあるが、一番の原因は教育勅語に根差す、仲良し主義だとみている。愛はお互いを深く思いやるものだが、仲良しは気が合う人と上べだけ、当たり障りなく、ニコニコするものであり、絶対に心は満足しないわけである。(既婚者の寂しさの声は僕もミクシー関係などでたくさん聞いた)
そのような人たちに対して、「友達仲間がいるから、配偶者がいるから、寂しくないだろ」という人かいるが、そのような者は上からの視線で見ているから、僕は怒りを覚える。もっと怒りを感じるのは、「寂しい人には友人になればいい。それで寂しさは消える」という見方である。愛の足りない社会のひずみが絡んでおり、交友では解決しないわけである。根拠もなく、無責任でも。そのような者に限って、友情と甘やかしを混同するなど、友情知らずでもある。