恋愛・性行為・結婚。この三つを僕と付き合った島田療育園の身障園生たちも、世間同様に混同。小説名.波多野幸雄の恋愛も正確に気持ちを再現すれば、ポルノ小説みたいになるわけである。無論、主旨から、そのようなことは書けないわけだが。また、彼らも男女の真の言葉の出し合いから恋愛が生まれる事を知らなかった。もっとも、当時の僕もそうだし、在宅身障者も、五体満足の人たちも、クリスチャンでさえも同じであった。日本中がそう。
僕は島田の小説を書くようになってから、自分なりの真の言葉を次第に発するようになったと思う。その後、少しして、僕の事を好きになってくれる女性たちが出始めて、気が付いた時は数人に好かれていた。全部に感謝して、全部を恋人にして、それに応じた言葉を送っている。真っ先に好きになってくれた女性の気持ちに気が付かなかったと言おうか。一人に絞っていないし、絞る考えも、必要性もないわけだが。人間は脳が発達した動物だが、発想も脳で生まれるが、男と女は脳の構造が違うため、発想や感じ方も違い、親しい異性を持たない限りはだれでも精神・心は安定しない。寂しいし、ものの見方も同性とだけしか付き合わなければ偏り、判断力や思考も付かず、人生も間違うこともあると思われる。恋人や異性友人は大切である。
話を戻せば、男女の別なく、島田の身障園生たちの一番したかった事を今の僕はさせていただいているようである。無論、僕の一番したかった事でもあるが。島田に行ってよかったし、付き合った3人だけでなく、多くの島田の園生や、高齢で早くに天国に行った職員たち、ひょっとして、小林博士(小説名.林田)も僕の守護霊様になって下さり、助けて下さっているのではないかと思いたくもなります。ありがたいです。