NHK教育テレビ・100分で名著、斎藤幸平氏の解説の資本論の一部。
「資本家は有り余るお金を持っていても企業拡張に使い、楽しくない。遊びなどにも使わない」。
寅さん映画のタコ社長がそうですね。あれは経済映画でもあるわけです。
労働者や自然環境を搾取しながらも、自らも巨大な経済構造の歯車になり、犠牲にもなっている。何でしょうね。近代ヨーロッパ人は、資本家・労働者・農民と、「自分が判らない・見えなくなる」訳ですよね。
もっとも、日本、ドイツ、中国、朝鮮半島はさらに複雑。日本の場合、黒船ショックと明治維新で、一度目の「自分が判らない・見えない」に陥り、後の資本主義化でマルクスの指摘通りになった。黒船の件が大きかったと僕は見ています。ドイツは第一次世界大戦の敗北が経済構造問題以上にそうさせ、「ハイル・ヒットラー」にも。ドイツ生まれのマルクスも予見できなかったようです。中国や韓国については、歴史を見れば、判ります。
経済構造だけでも、自分を見失わさせるのに、それと同規模か、それ以上の要因も。でも、そこから自分を再発見する日本人はものすごく力強い事も判るし、僕もそうしたいと思います。僕が中学以来、追い求めてきたのも真の僕自身でした。そのために島田療育園や子供会、全生園、教会関係に行ったり、その後も随筆文を書いたりもしているわけです。今、僕がどれだけ、自分が見えているかは判りませんが、とてつもなく大きいし、それ以上に父母や恩師たち、イエスやシャカ、内村鑑三や親鸞が大きい事も判りつつあります。かなり自分が見えているのかもしれない。