朝鮮戦争がなければ、日本も世界も歴史は大きく変わっていましたよ。
まず、日本。朝鮮戦争の時に「警察予備隊」が生まれ、後に自衛隊になり、今は防衛省なるものもできている。自衛隊は英語では、armyと訳さされ、世界的には軍隊とみられている。「戦争放棄」の憲法との兼ね合いも議論がえいえいとされているが、賛否のどちらの派も決定打を欠き、結論は未だに出ていないわけである。また、朝鮮戦争の直後だろうか、何故か、「らい予防法」も生まれ、終戦でせっかく自由を獲得できたハンセン氏病関係者が半ば戦前に逆戻りも強いられた。終戦直後、戦災孤児の問題からヨーロッパと日本では福祉に目が向き、ヨーロッパではその勢いで障碍者福祉にも目が向いたが、何故か、日本では目も向かず、その代り、朝鮮戦争特需からお金にばかり国民の関心は向いた。
朝鮮戦争がなければ、以上はどうだったろうか。また、1960年代の全学連の人たちも、恐らくは朝鮮戦争の因縁には気が付かなかっただろう。世界、特にアジア諸国も。朝鮮半島を通して、アメリカ対旧ソ連・中国の緊張対立の構図がなければ、その後の中国・インド、ベトナム、インド・パキスタン、カンボジア関係、中国とベトナム、旧ソ連とアフガニスタンの各戦争や虐殺は起きていないだろう。戦争はパレスチナ地域に限られ、それも世界平和の流れの下、妥協策も模索されていたと思われる。悲惨なパレスチナ難民も生まれていないだろう。又、各国がお金儲けにこだわる事もなく、ゆったりした世界になり、早くにクリーン・エネルギーも開発されていたかもしれない。そのような異次元SFも書けそうである。
日本植民地から解放されたのに、今度は当時のアメリカとソ連のエゴで分断された朝鮮半島。その影響はその民族の悲劇だけでなく、全世界に及んでいるようだ。一刻も早い平和統一と日韓和解を望む。
ちなみに、北朝鮮の体制。昔のソ連のスターリン体制を真似たものとも、戦前の日本のコピーとも言われるが、そのような国々は我々日本人が知らないだけで、戦後の中南米やアフリカ諸国にはいくらでもあるわけである。更には、フランコの支配した時のスペインとか。あるいは、それらに共通するのが「戦時体制」。戦時体制の時の国は似た強権体質になる法則がありそうだ。宇宙社会はどうだろうか。そのようなSFもやはり書けるし、現にかなりあるわけである。
戦時体制、準戦時体制では人々の生き方や児童への教育は画一的になる。戦後の日本の学校教育の画一性や、判で押したようなマイホーム志向も以上と関係あるのかもしれない。60年代の全学連、その後のボランティア関係と多くの若者が社会問題を論じたが、「何も見えなかった」と言ってマイホーム主義に転向し、小さい生き方になった人達も多かったわけだし。性格的に向く人はマイホーム主義で良いが、向かないだろう人達もそうして、後で家庭不和にもなる例も多いわけだ。また、学校教育の画一化については、羽仁進が早くから警告していた。
とにかく、日本も多くの国々と関わり合いから成り立っているわけだから、外国に目を向けることも必要だろう。外国に目を向けることは自分の国に目を向けることにつながり、自分を知る事にもつながるわけである。