小野雪子は手紙を見て、絶句した。羞恥心、同情、拒絶感、驚嘆、恐怖感などが一挙に全身をかけ巡った。今、何が起きているのかも雪子はわからない。未婚だが、自分の息子から愛を告げられたようにも驚いたわけである。ぼうぜんとして、 「お水が飲みたい」という別の園児の声も聞こえないほどだった。少しして、一緒に身障室の介護に当たっていた女性職員が雪子の表情が変わっていたのに気が付き、
「顔色が変よ。カゼでも引いたんじゃないの。ここは私にまかせて、休んだ方がいいわ」と言い、職員寮で休むことにした。でも、休めば休むほど、心は揺らぐ。その日の夕食もお茶しか飲めなかった。その様子を見て、木村真之介は心の中で
「やっぱり、察した通りだった。双方、深く傷つくだろうが、誰にも打つ手はない。どっちもかわいそうだ。障害者でも、職員でも、その他の被差別者でも、自由に恋愛できる世の中になればいいのに」と想い、その気持ちを後日、比嘉美波と金花姫に話した。
翌日も雪子は顔色も悪く、勤務を休んだ。部屋にいて、心は驚きに満たされた。彼女はこれまで男性から恋文などはもらっていないし、自らも男の人を好きになったことがない。生れて初めての経験である。それが...。午後は何となく、近所に散歩に出た。ナスやキュウリが実っている畑を見ながら、秦野幸雄との結婚生活をイメージしてみた。自分が台所でナスなどを切りながら、夫・幸男のために料理を作っている姿を想像して。
食事の介助はもちろん、着替え・寝た姿勢から車いすに乗せる・降ろす動作、入浴。いつも職員が二人係りでしていることを自分一人でしなければならない。ため息も出た。
「ムリだわ」と独り言も出る。恋愛を通り越して、気持ちは結婚生活に向かったが、幸男との二人だけの暮らしは重圧に押しつぶされそうである事がよくわかる。かと言って、どのように返事をすれば良いのだ。「ムリ」と正直に書けば、幸男は傷付く。こんな残酷なことは私はできない...。苦悩そのものである。勤務もせず、昼夜、三日間散歩して熟考の末、
「私がここから消えれば良いのね。母が病気になったことにして」と思い付き、さっそく林田博士に話した。
「それは心配だろう。最近、小野さんは変だとうわさで聞いていたが、それなら仕方ない。すぐにも秋田に帰りなさい。後任は私が探すから」と返事。小野雪子はただちに荷物をまとめ、郵便局に運び、その足で東京駅に向かった。東京に来ることはなかった。
秦野幸雄は返事を待っていた。それしか頭になかった。でも、小野雪子が退職し、秋田に帰ったことを主任職員から聞くと、目の前が暗くなった。これが「返事」だと悟ったからだ。心は絶望の淵に落ちた。食欲は急になくなり、体温は正常だが、翌日から頭痛もした。何日も正体不明の頭痛に襲われた。診察した林田博士は
「頭痛は今の医学では原因もつかめないことが多い。診たところ、風邪ではない。特に暑い時期にタイプライターの練習に精を出したそうだから、その疲れもあるだろう。それとこのような気候の変わり目のせいもあると思う。疲れたり、気候の変わり目に頭痛が出る体質の人も多いわけだから、秦野君もその一人かもしれない。ビタミンとブドウ糖注射を打っておく。休めば治る。体は悪くない」
と言った。
頭痛の原因は、秦野本人と木村真之介ら4人が知るのみであった。
12月になり、クリスマスが近付き、秦野幸雄も新約聖書を毎日読むようになった。クリスマスはクリスチャンにとって、心のリセットをする時である。その年に犯した罪はもちろん、失敗やイヤな事もイエス・キリストの御名により、過去の事して、新年に向けて心を前向きにして、「新たな希望」を灯すわけである。
「小野雪子のことは去ったことだ。気持ちを前向きにしよう。イエス様も見守って下さっているし」
と心の中でつぶやいた。
クリスマス後は秦野幸雄は頭痛も治り、元気になった。林田博士は
「気候が安定したから治ったのかな。とにかく、治って良かった」
とつぶやいた。
1972年も暮れようとしつつある。前年からドル・ショックなど、アメリカ経済の衰退が目立つニュースが相次いで起きてきたわけである...。
コメント
Yoshi
2021年 09月26日 09:35
続きを楽しみにしています^^/
トシコロ
2021年 09月27日 10:53
>Yoshiさん
ありがとう。