秦野幸雄のモデルの島田身障園生M氏の事だが、「世間に広めてくれ」と言って、数ページに渡る手記文をくれた。氏は僕をボランティアの一人と見ていた。強い期待を僕にかけた。
もう昔の事なので紛失はしたが、創立期の愛の様子、マー君という早くに天国行った園児、非恋、職員スト、おむつの屈辱感、人体実験、島田の狂いの嘆きと長文で綴られていた。きれいに印刷もされていたから、心ある職員さんたちがサポートしていたわけですね。
今まで僕も気が付かなかったが、その手記に沿って書き続けている。順番もその通り。手記を小説化しているようなものですね。それに気が付き、時間はかかったものの、期待と言おうか、求めに応じられて良かったと思う。氏は「仲よくする」事は嫌いらしいが、友人に時間をかけてなれたわけでもある。例えば一緒に酒でも飲んで仲良くしても裏切り合い、ケンカになることが多いがそのような仲よりもはるかに良いと思う。M氏に出会って良かった。
僕の位置付けだが、かつてはボランティアと呼ばれる事に抵抗があった。身障運動として行ったつもりだったと。でも、今はどうでもよいと思っている。僕が行って、何かを見て、僕なりの仕事が与えられたと。与えたのは神だろう。儒教的に言えば天、マルクス主義的に言えば歴史だが。とにかく、大きな経験でした。