パートナーと愛。特に、昭和までの日本では混同されていた。異性に対してパートナー性を求める女性も多かった。でも、二つは違うと。愛抜きのパートナー関係も成立する事は、和歌山の殺人事件でも証明されています。殺しは別にしても、パートナー性を求めると男女交際や結婚はビジネスになってしまうわけです。お金と世話や介護を求めてのものに。おかしかったわけです。
でも、男女雇用機会均等法ができ、女性も働くようになってから、以上のような女性は減ったわけです。和歌山事件の犯人は古い日本のウミの一つだったとも言えましょう。
歴史を見ると、江戸時代は天皇・公家、将軍・大名・高級武士は家柄中心のきっちりした結婚があったわけですが、庶民はかなり自由な恋愛や、ゆるやかな結婚をし、離婚も簡単にしていた。今とは結婚観念も違ったようです。経済が伸びない今後の参考になりますね。ただし、我々は学校で「江戸時代は封建的で未開な時代」としか教えられていない。知らなすぎるわけです。戦争がなかった事や、物を大切にした事など、優れた面があるわけですが。前者の流れから、戦後憲法の「戦争放棄」につながった面もあったと聞きますし。昔、僕は東大法学部Aから、江戸時代の優れた面をたくさん聞きましたが、かなり忘れた。もっと真剣に聞けば良かったと思いますが。Aは法学部の元全学連の先輩から聞いたとのこと。全学連も色々あり、中には右翼以上に復古主義的な思想のものもあったようです。そのような事も思いだされます。(右翼、保守、中道、左翼と、日本のものは明治維新を肯定している点では変わりがないと。帝国憲法ができた点も。もし、経済が変わり、江戸社会に学ぶ時代が来たら、右も左もなくなるわけだが)