以前、その件から「財産分割ルールなどの法の不備」を書いた。それを書いた当時の僕はその悲恋に同情していた面はあったと思う。確かに、法や経済は大事だが、高齢恋愛当人たちの心理・認識に重大な問題もある事に気が付きつつある。
恋愛=結婚と短絡的に捉えている点が見えはしないか。何も高齢者に限らない。若い世代の人たちにも言えるし、少なくとも戦後の日本人のほとんどが思っている意識だろうから。僕も若い時はそうだったし、僕の見てきた全ての日本人(在日韓国・中国系含む)もそうだから。身障者、聴障者、盲人、ハンセン氏病元患者と。その見方は本当だろうか。その前に今の科学では恋愛のメカニズム自体も判らないではないか。判らないで、そのように決め込むこと自体がおかしくはないか。
旧友や縁者、ハンセン氏病元患者たちの多くの事例を見ると、大体、結婚した時点で恋愛なる気持ちは終わっているわけである。後は子供が夫婦の心のつなぎになる例が多い。子供がいない教師同士の夫婦では、教え子たちがその役割をする例も数件見てきた。でも、そのようなつなぎのない夫婦は離婚が多い。1920年代に生まれた人たちの夫婦でそのような離婚も見てきたし。そして、今は子供などのつなぎがあっても離婚する例が日本でも激増している。クリスチャン夫婦の離婚も多い。人伝手に牧師が離婚したことも聞いた。
ならば、ムリを押して高齢者が結婚しても続くのか。愛が高まり、幸福になれるのか。誰も判らないわけである。ということは、結婚反対はおかしいかもしれませんが、積極的な賛成も無責任だろうと思うわけです。
大切なのは「恋愛の尊重」。例え科学的に解明されていなくても、それ自体に無限の価値を認めることですね。恋愛を高齢者でも祝福する。それが真の優しさの一つでしょう。全世代の人たちにも言えると思います。「これからの哲学入門・幻冬舎・岸見一郎著」にも、恋愛のゴールは結婚でもない事を述べています。哲学者なので、恋愛のメカニズムについては言及していませんが、これも色々と考えさせられました。
恋愛には深い問題があるので、継続的に書きたいと思います。
コメント
Yoshi
2021年 03月22日 14:59
愛の深さは結婚以上で
科学では計算できないでしょうな~