1990年代、アメリカのいくつかの映画を見て、恋人同士が「LOVE」と常に言葉で愛を確認するシーンを見て、「口先や言葉だけで愛なのか?」と疑問に思いました。でも、それだけでもないようですね。未知科学の事ですが、言葉を通して「気」も伝わるのではないかと。聞く・読む相手に伝わり、相手の心で愛の気が再生産される。だから、アメリカでは言葉中心の愛ができているし、日本などの東アジアでも十分可能だと思うわけです。言葉は心と気の伝達役割を果たす。無論、中心は送る人の心と気ですが。それゆえ、例えば、偽善など、おかしい心があれば、表現も自然に狂い、悪い結果になる。ウソはばれるものに決まっているのでしょう。
何の因果か、今の僕は数人の女性に好かれていますが、以上の方法で愛の気を送り合っています。相手の女性たちは愛を求める気持は強いですが、結婚志向は弱い。だから、僕も相手にしてくれているし、愛に徹したやり取りもできているわけです。一人が複数の相手をしても心はもつれないわけです。
やがて書きますが、結婚にこだわる意識が強いと異性を取り合いもする。かつて、日本で一人の男子生徒を取り合いし、女生徒が他の女生徒を殺す事件が中学でありましたが、これも中学生の内から結婚意識が強く、異性を独占しようとして恐ろしい事になったと解釈できます。難しくなるわけですね。