佐久のみなさんへ. 2021年1月書
東京もさむいですが、晴れの日が多いです。そちらはいかがですか。
今日は耳の話をします。お正月にテレビに出てくる大福さまは耳が大きいですね。そのような人がいたら、面白いでしょう。でも、大小に関係なく、耳は音や声を聞くためにありますね。理科の時間でならいますが、音や声は空気の振動=ゆれ動きであり、それが耳のあなの中にも入って、耳のおくにある音や声を聞くところに行き、われわれも聞けているわけです。でも、何かのりゆうで耳がつまったり、聞くところが動かなくなると聞きにくいか、聞こえなくなります。みなさんの中にも、耳の病気で耳がつまり、聞こえなくなったことがある人もいるでしょう。病気ではありませんが、ぼくは耳かすが水あめみたいな感じで、それが多くたまると聞こえなくなります。この間もそうで、耳の医者に行って取ってもらうまで、しばらく聞えませんでした。テレビは字まくスーパーで見ていましたが、それがないばんぐみは見てもわけがわからず、つまりませんね。人の声も聞こえないから、字を書いてもらってお話ししていました。
ぼくのばあいは耳かすを取ってもらえば聞えますが、そうではなく、耳のおくの聞くところがマヒして、生まれつき聞えない人たちもいます。みなさんもテレビで手話をよく見ていると思いますから、そのような人たちのことは知っていますね。ぼくの友だちにも耳が聞こえない人もいます。その人は、「聞こえない」ことからのさみしい気持ち、つまらない気持ち、聞こえる人がさみしさなどをわかってくれない「悲しさ」を多くの人々に話しています。たしかに、少しだけ聞こえなくなってもつらいですが、いつも「聞こえなければ」、もっとつらく、さみしいですね。みなさんも耳せんして、暮らしてみて下さい。お父さん、お母さん、友だち、先生の声も「聞こえなければ」、さみしいでしょう。みなさんも耳の聞えない人たちにも目を向けて下さい。(写真の一つは手話をしているところです)。
また書きます。