日本の聴障者たちの事のTV番組を僕は興味深く見ています。特に、3年前に見た、それ同士の夫婦の事が印象的でした。生まれた子も「聴障児」。男の子ですが。夫婦は「むしろ、嬉しい」。その子を深く愛しています。学校は夫婦の意志で、聴障学校を選びました。
以上は偶然。そのような夫婦でも、子供は圧倒的に健聴児の例が多いわけですが。
しかし、統合教育が進んだ今も聴障児は聴障学校に行く例が多い。確かに、「聞こえない子」の勉強や道徳を教えるのは普通の教師の技量では、見当も付かないでしょう。聴障児教育に口出しは僕はできませんが、聴障学校を支持する聴障者たちや親たちの気持ちも判ります。
卒業後、会社などに行っても周囲の不理解や、「聞こえない」事からの聴障者自身の構造的な理解力の欠如の為、仕事は仮にできても人間関係を作れないとか、仕事自体もできない例が多く、続かない。福祉団体や親睦団体に入っても同じで、友人も作れず、孤立してしまう例が多い。そのため、聴障者同士が集まり、手話で愚痴をこぼしたり、悩みを語り合う。本当に聴障者だけの世界が出来上がっています。手話が彼ら特有の言語になって。友人関係は勿論、恋愛や結婚も聴障者同士。その光景を見て、「手話民族」に僕には見えるし、「学校」の件は以上で仕方ないにしろ、そこまで彼らを追い詰めた日本社会・日本人の聴障者への不理解に異様な冷たさを僕は感じます。「聴障者は閉鎖的。もっと社会に出ろ」という声があれば、それはおかしいと思います。ハンセン氏病元患者に対して、そのような無責任な声も昔聞いた事があるので、聴障者に対しても同じ声がありはしないかと懸念もしているわけです。そうは言えないだけ、ハンセン氏病も、聴障も根が深いと。
思い出すと、Kと一緒だった福祉会の健全者には、恐らくは当時の身障者や盲人に共感したのでしょう、「養護学校は隔離でけしからん。それを作る文部省は差別的だ」と盲人などと同じことを言い出す人がいた。聴障を持つKは、何が差別か、判らなかったそうです。当時は盲人のかなりや、身障者のかなりも反養護学校運動していましたが、聴障関係ではそのような動きは起きておらず、Kもその運動は無視していました。元々他の障碍者関係とは疎遠だった聴障者たちは養護学校の件でさらに疎遠になったかもしれません。
そして、何の因果か、僕は時々難聴にもなる。生まれつきの聴障者の気持ちは完全には判りませんが、かなり察する事はできるわけです。もし、死ぬまで他人の声が聞こえなければ不便だし、それ以上に「猛烈に寂しい」事もわかるわけです。他人の様子を察する事もできない事も。...。