医学や福祉などの何かの問題意識を持つ。それ自体は結構だが、そのような対象の人たちに思いやりや愛を欠くと、非常に狂ってくるのではないか。島田療育園の一園生が証言していた、そこに昔あった「医者による園生の手術実験」のメカニズムもそれかも知れないし、同園生は「設立期にあったおもいやりの心が今(1977年)は失われている」と証言している。更に閉鎖的で情報が外に出にくい、精神病院とか、戦前のハンセン氏病療養所では、さらに多かった。戦争中に各国軍医が捕虜に人体実験する例が多いのも、さらなる例だし、その極端な例がナチスだと思われる。ナチスの人たちは対ユダヤ人には思いやりはなかった。
無論、以上の例よりははるかにマシだが、1980年ごろのボランティアも、個人差はあるが、対身障者には問題意識を持って関わった。それは構わなかったが、世代柄、どうしても思いやりを欠き、トラブルも色々起こした。身障者を福祉や、障碍児教育のサンプルみたいに結果的に見る例もあった。一人の元ボランティアから「だから、身障者を恋愛や結婚の対象と、我々の世代のボランティアは見なかったのかな」という貴重な証言を聞いたし、対する身障者も思いやりを欠いていた。身障者自身もそういう傾向が見られた。1960年生まれ前後の身障者の非婚理由の一つに挙げられる。それらとか、島田療育園であった人体実験の例は、高度経済成長以来の日本人の思いやりの低下が強く影響していると思われる。東日本大震災の後の助け合いで、思いやりの言葉が蘇った。心の底までは蘇っていないものの、「きっかけ」にはなったと思う。今後は更に蘇り、共生社会になってほしい。
コメント
Yoshi
2020年 10月15日 14:45
家族への思いやりはできても
他人への思いやりはできない人が多いですよね
まぁボクもそうかもしれませんが
思いやりの連鎖が平和に繋がると思うですが~