日本国内の事だが、プロテスタント関係と左翼関係の人たちの中にそのような例が多いようである。
内、プロテスタント系の人たちについては、「その内向き的性格、及び、教育勅語を通して天皇制社会や軍国主義に利用されてきた歴史的因縁」が理由らしい。「内向き性格」は僕の疑問とも重なるわけだが。
左翼系だが、「皆で仲良くしよう」みたいな主旨の福祉会に、その内外から批判の声が出て、一会員だった当時の僕も判らなかった事がある。会員の中の左翼系の一人が「人間は資本家と労働者に分かれるものだ」とか、資本論を引用して批判もしていた。それもあるが、もっと大きな事があった。
戦前の日本。都市部は知らない人も多かったかもしれないが、大多数だった農村部は人々が「地主系家族と小作人家族」に分かれていた。小作人家族は地主家族には頭が上がらなかった。例え子供同士、同学年同士でも。そのような事は、昔の落語でもよく聞く。当然、両者仲良くできるわけがない。まさに「地主同士・小作同士」しか仲良くできない。「何が仲良くだ!」と思った小作系や左翼の人もいただろう。その制度が戦後農地改革で消えた後も語り継がれたと考えられる。
過去の事にしろ、地主と小作の関係もあったわけで、戦前社会は美化できないわけである。その他、差別が色々あったし。女性の赤線=公的に認められた娼館とかも。女性差別も厳しかった。