「ヨーロッパの命の選択」をさらに掘り下げると、その経済の行き詰まりと、それに対する諦め意識みたいな事も見えてきます。
ここ20年間くらい、ヨーロッパ諸国では失業者が増え、格差も拡大。明らかに今までの資本主義は行き詰まっていますが、かと言って、1990年はそれへの変革の指針になったマルクス・社会主義系思想はソ連崩壊と、中国資本主義化で「古い」事が証明された形になり、指針を失った風です。ヨーロッパのかつての社会改革主義者たちは「無気力になった」という話を断片的によく聞きますし。気持ちも判りますが、ならば、資本主義・マルクス主義・ファシズムの3つを越え、人々が納得できる新たな経済・社会構造を生み出せば良いわけですが。何故、今までヨーロッパの人たちはそれに気が付かなかったのか。
思えば、マルクスは1800年代半ばの人だし、アダム・スミスなどはもっと古いわけです。ムッソリーニは1900年代前半の人ですが、規範としたフランス革命も1789年。これも古いですね。古くても歴史的な普遍性があれば良いですが、それらにあるとは到底思えません。
ならば、歴史に良く学びつつ、新しいものを皆で生み出していくしかないわけですが。
失業者の激増も、第一次・第二次世界大戦の根の一つでした。コロナがなければ、ヨーロッパで極右が強くなり、経済資源確保のため、中東やアフリカに侵攻し、第3次世界大戦になった可能性が高かったと僕は見ています。コロナよりもはるかに恐ろしい事ですね。
とは言え、僕の声はヨーロッパ社会には届きませんが、ならば、我々東アジア人だけでも新しい社会・経済構造を模索したいです。それが出てくれば、日本や中国の人達は助かるし、南北朝鮮も平和統一されるかもしれないと思っています。もし、それが「命尊重」経済や社会ならば、日本人の多くも朝鮮植民地化の因縁が初めて判り、日韓和解もできると思います。その他の諸々の差別や、肉食に関する社会矛盾も減少し、消えていくでしょう。肉食の残酷さに人々が気が付き、考えるようにもなると思います...。