その後半の「アダム・スミス以来」を、「近代初期の植民地支配以来」に訂正する。現代の資本主義・人間中心の傲慢主義の根も、後者にありそうだから。
確かに、近代初期のスペイン、ポルトガルの植民地支配・搾取はものすごかった。「収奪」以外の何ものでもなかった。中南米、アフリカと。その土台に、それより北のイギリスやオランダは産業を発展させて、資本主義に仕立て上げたのだから。従って、アダム・スミスやイギリスばかりを悪者にしても始まらないわけである。
因みに、スペイン、ポルトガルの植民地支配に当時のカトリックも協力している。中南米原住民の人権に理解を示し、批判した神父もいたが、大勢は協力。彼らも「人間中心」には違いなかった。マリア様の預言した「大罪」はそのような歴代の教会の罪も含まれるわけである。また、インドや中国支配したイギリスの後のプロテスタント系教会も同様である。
ニーチェに先立ち、かなり早い時期にヨーロッパの「神」は死んでいるかもしれない。又は、「アヘン」に化していたとか。
人間中心の傲慢主義の根は極めて深そうだ。余談だが、1989年ごろ、夢に僕もマリア様を見ている。左手の甲が多く丸く傷があり、血が流れていた。「傷は人々のむさぼりの結果のものです。すごく痛みます」と日本語で話されていた。その傷は、南極のオゾン・ホールに似ていた。マリア様=大地母神という説もあるため、当時の僕は環境問題を連想し、その後の福祉キャンプでの子供向け文にもたくさん環境問題を書いた訳でもある。