トシコロさんの日記

2020年 03月23日 11:50

高度経済成長期の日本にあった死への嘲笑

(Web全体に公開)

1966年。僕は小学5年。美術の時間に、その先生が絵を交えて、「お釈迦様の死」の話をされた所、僕含む、かなりの男の子が笑ったし、女の子もそれに近い表情を浮かべたので、先生が首をかしげた事を思い出した。今思うと、子供とは言え、笑う事ではないのに。変に思ったが、すぐに根が判った。当時のアニメや漫才に「死を嘲笑」するものがたくさんあり、それをいつも聞いていたから。特に、漫才で「電気椅子」を嘲笑した事は今も覚えている。知らない人に話すと、それは死刑囚を殺すための強い電気を通すイスである。アメリカでは、使われている州もあるらしい。当時の僕は単に、電気を通してシビレさすものかと思ったが、以上を母に教えられたわけだ。後年になり、それは漫才にふさわしいものかとも思う。また、アニメも、悪者が殺されるものもたくさんあった。このようなものを毎日見て育つと、死を嘲笑する子になるし、また、その漫才やアニメ自体がもっと死を嘲笑していると言わざるを得ない。更に言うと、その時期の日本は「経済力で何でもできる。死に打ち勝てる」という意識が社会全般にあり、それがアニメや漫才にも反映されていたとも思われる。


  第二次世界大戦中の日本の軍部は戦争遂行のために死を美化した。それも大罪だったが、それとは別の意味で、以上も非常におかしいわけである。

  無論、僕の関係者だけでなく、そのアニメや漫才を見た世代は後々まで影響が出ていたはず。死を深く考えない癖がつくとか。その現れの一つがオウム真理教だろう。麻原自体、死を深く考えていなかった。金儲けのために利用した訳である。信徒たちも。その他にも、交友や恋愛、結婚ができない、離婚してしまうなどの事にもつながってくるだろう。


  第二次世界大戦中の日本は軍国主義でおかしかったが、戦後も別の意味でおかしかったし、「死」を見ないで命や福祉を尊重はできないわけである。コロナに関係なく、我々は「死」を見つめるべきである。

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