トシコロさんの日記

2020年 03月16日 11:20

死のない教会

(Web全体に公開)

まず、僕の行った教会関係がそうだった。本当のキリスト教は、各人の死とイエスの十字架上の死を自然に結び付けて、深いつながりを持ち、更にそれを共通項に信徒たちも結びつくものになっているそうだが、また、それらに「神の恩寵・魂の永遠」も確認するものである。それで心も一致し、話も噛み合うと言おうか。聖餐式はその確認行動だと聞いている。でも、建て前はその通りでも、僕の行った教会は違った。イエス十字架の意味を誰も言わない、判らないわけである。教会に行っていた時の僕含めて。それゆえ、神や人とのつなぎを求めて、牧師たち含め、皆悩んでいた。ほとんどの者は教会で独り言ばかり言い、交友はできない状態。誰も教会でも友人は作れない。ボランティアなどの社会活動に神やつなぎを求める者もいたし、「共感こそ、神に通じる」と言っていた者、「セックスしか結ぶものはない」と言う者も出る始末。「『労働が人を結ぶ』というマルクスの説は正しい」と述べる者さえいた。


  成程と、コロナ・ウィルスの流行る今は思う。僕含め、また、牧師含め、「死」を知らないから、自分の死の事が判らず、従って、イエス十字架と自分もつながらず、十字架を受け止められないわけである。共感とか労働は死とは大きく違うから、実際はキリスト教から遠ざかり、レイプ牧師も複数輩出するに至ったわけである。レイプ牧師、隠ぺいした多くの牧師たちも、イエス十字架を受け止めているとは思えないわけだし。もっとも、戦後日本では、ほとんどは病院で死に、死を知らないで育つから、何も僕の行った教会だけでもないだろう。更には、仏教関係も同じである。仏教も核心部分は「死」だからである。例えば、親鸞上人も若い時から「自分の死」を見つめ、その中から阿弥陀仏の救いを見出した。親でもない、「自分の死」である。それが判らないで、歎異抄を読んでも、誤解するだけなのだ。

  また、アイルランドやカナダの神父の性事件多発を見ると、世界的な現象だろう。世界的に人々は「死」が判らないわけだ。

  西洋に目を向けると、近代以降、以上の現象が起きたのかもしれない。但し、「科学と経済が発達すれば、死から逃れられる」という発想が次第に出てきた。そのような発想も、人を十字架から遠ざける。M・ウェーバーの述べた通り、神の恩寵とされるものは、資本家層から「利潤」などの経済的なものに変わっていき、資本主義が成長して、今の社会に至ったのではないだろうか。つまり、「神の死」ではなく、「死の死」という現象である。でも、それも幻想に過ぎない事が今回のコロナで明らかになった。

  そういえば、僕の行った教会では、死の話は誰もしなかった。それ自体、おかしかったわけである。それ以前に僕が入っていた福祉会、身障会などでも。人は必ず死ぬし、交通事故や食中毒で常に死ぬ可能性はあるのに。おかしかったし、死の事を誰も思わないから、心もバラバラになり、会も早く潰れた面はあるだろう。

  これからは以上の事もなくなるだろうし、死の前には宗教の違いもないわけだから、宗教対立も消えてくるのかもしれません。

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