自分の頭脳に根拠を持てば、一人一人の脳は違うから、他人と付き合えない。そのような人たちばかりが集合して国家を作れば、王制だろうが、共和制だろうが、他国と付き合えず、戦争になるはずだ。近代期のヨーロッパは我々日本人が覚えきれないだけ、戦争が多かった大きな要因もそれではないか。戦争の為に、近代ヨーロッパでは徴兵制も作られたし。デカルト思想と徴兵制は明治維新以降の日本、清朝崩壊後の中国にももたらされた。日本の諸々の戦争問題もヨーロッパにさかのぼられなければならないのかもしれない。
とにかく、17世紀から第一次世界大戦までヨーロッパは戦争ばかりしてきたし、その後もナチスが現れている。
人々のつながりが欠いて孤独感が強まったせいや、考え過ぎる人も多くなったためだろう、精神病にかかる人たちも近代ヨーロッパでは増えた。ヨーロッパで作られた歴史映画でその様子を僕も見た事もあるし、画家のゴッホが精神病を持っていた事は有名である。深刻である。
また、思考に重きを置く価値観ならば、どうしても思考が難しい知的障碍者や、思考が常人と変わっている精神障碍者は非常に差別されるようになるわけである。それから、ユダヤ系やイスラム系は勿論、キリスト教でも教派の違う人たちへの差別も激化した。自分の思考を基準に考えると、信仰に限らず、自分と考え方の違う人たちをおかしいと思ってしまい、その面の差別も強くなる。それらの果ての姿がナチス思想ではなかったか。
差別されたユダヤ人たちも、次第にデカルト思想に傾き、そこからシオニズムも生まれ、第二次世界大戦後のパレスチナ問題にもつながった。歴史的事実であり、これも極めて難しい。
以上、歴史を記しておく。中学2年の時、近代ヨーロッパの多くの戦争に関して、社会科の先生が皮肉たっぷりに「歴史は戦争ばかりです。人間は戦争が好きらしいですね」と言ったのを覚えている。
ヨーロッパでは、デカルトを超える動きはないのだろうか。因みに、日本でも明治以降から精神病患者が出始め、人々が孤立化していった1980年代には巷で「今、精神病にかかる人が増えている」という声が聞こえた。今は夫婦や親子でも心通ぜず、最近も小さい子にエアガンを遊びで打つ事件も起きた。このままでは日本も危ないが、ただ、ヨーロッパと違い、デカルト的な発想の時間が短く、急速にそうなった点がどうなのか。未來の事は判らない。