トシコロさんの日記

2019年 10月10日 13:49

島田療育園の職員さんたちや園生たちの声を聞いたから問題意識を持ち、僕は書けるわけです。

(Web全体に公開)

確かに、水上勉氏は島田療育園を見学したし、花田春兆氏はそこの教育面に関わった。花田氏の教育面、水上氏の池田総理大臣への訴えは画期的であり、僕も高く評価する。とは言え、二人共、それを舞台の小説は書いていない。一つは、矛盾が現れていない初期だったからの面もあるが、その他、二人共、園生や職員の声は余り聞けなかったからもあったかもしれない。水上氏にしても見学止まりだったし、花田氏に至ってはそこに行った形跡もない。また、花田氏の住んでいた港区高輪から、島田のある多摩市までは遠く、まともに行ける距離でもない。ならば、小林博士や一部職員から島田の様子は聞いても、園生の生の声は聞けなかったわけだ。これでは、どんな作家でも問題意識は持てず、小説という発想も起きないではないか。更に、仮に声を聞いても、1960年代はまだ虐待も、人体実験もなく、この面からも問題意識は起きなかったと推察できる。更には、花田氏が関わった時はまだ身障者の所に行くボランティアも少なく、その面からも島田に行く事は難しかったと推察できる。


  一方、僕の後に行った身障ミニコミ会の人達が行った時は、身障園生たちはかなり退園し、紛争を起こしていたK氏の声しか聞けなかったわけである。職員たちも投げやりになり、余り語らなかったわけだし。情報が偏っていた。これなら身障運動はできても、小説に書くまでには至らない事が判る。

   以上の人達の事から、更に僕は小説を書くには最も恵まれた時期に行った事が判る。サポートを色々して下さったボランティア関係の友人(というより、親友)たちにも恵まれていたし。園生や職員たちには勿論、そのような親友たちにも感謝で胸が一杯です。フェイスブックにはそのような人たちも僕の文を常に読んで下さっていますが、この場を借りて改めて「ありがとう」と言います。その恩返しは、勿論、島田の小説を書いていく事ですね。...。

  (付け加えると、僕がそこに行った1977年には、花田氏の話は島田では全然出なかった。関わりを止めて久しかったようだ。理由として考えられるのは、一つは親しい小林博士が1974年に園長を退職していた事。更に、花田氏は島田どころではなくなった。花田氏は養護学校ギム制化運動と養護学校充実運動をしてきたが、1970年代になり、統合教育推進・反養護学校運動が全国的に出てきて、その対策に追われるようになっていたわけである。1982年刊の花田氏の著書の「ときには逆考してみて(ポプラ社)」にも、繰り返し、養護学校教育の重要性・統合教育の危険性、障碍児の安楽死の問題は述べられているが、島田療育園の問題は全然述べられていない。自分が小林博士と関わった事さえも。勿論、小林博士の「子宮切除発言」とか、島田への非難の声は聞いていたに違いないのに。だから、僕も花田氏の島田関与は最近まで知らなかったわけである)。

SNS オールギャザーへようこそ!

パスワードを忘れた方はこちら


新規登録はコチラから

他のアカウントを使って新規登録・ログインする場合はコチラから

オールギャザーとは?

世界初!社会貢献型SNSです

AG募金に、ご参加を!

ヾ(´▽`)ノ

募金カウンターの仕組みは?

サイトを利用すると、募金カウンターがカウントし、自動的に募金活動ができます。

例えば

ログインをするだけでカウント

日記やコメントやコミュニティを書く、見るだけでもカウント

友達のプロフに訪問してもカウント

利用するほど、募金活動ができます。

すべて無料です!

会員の皆様には金銭的負担は一切ありません。

すべて無料で、ご利用できます。

どうぞ安心してご利用ください。

登録は簡単!

→ 新規登録 ←

ーーーーーーーー
お笑い月間!
ちょっと、クリックして
みてください^^
  ↓
→あなたの運気を上げます!

→みんなの声
ーーーーーーーー

お知らせです