トシコロさんの日記

2019年 10月08日 14:05

島田療育園で初期光明養護学校の心に出会いました

(Web全体に公開)

僕と付き合った3人の身障園生たちは勿論、付き合いきれなかった園生たちも個性豊かで、活発に自己主張もされていたのが印象的だった。一人、目が見えない園生もいましたが、その人も同様でした。でも、詳しくは話しませんが、他の施設やハンセン氏病療養所にはそのような方たちとは出会っていません。何も人体実験みたいな事だけが印象的だった理由でもなかったわけです。


  その謎を解くカギみたいなものも、最近みつけられたようです。光明養護学校の第1期卒業生に、花田春兆氏という俳人・作家・身障運動家がいますが、氏は小林博士に脳性まひ問題を働きかけ、創立期の島田療育園にもかなり関与していた事がインターネットを検索して、判ったからです。光明養護学校の教育内容も時期によって変化していますが、特に花田氏が在校した初期は、「徹底した個性伸ばし」をしたと花田氏の諸々の著作にも書かれてあります。また、初期光明養護の卒業生たちは自己主張が強烈なのも特徴です。その教育はその後も受け継がれましたが、僕の在校中も同様な教育が行われましたが、初期光明に比べると、どうしても薄らいでいたのも事実です。それゆえ、僕の近世代の人たちの中にも個性を十分に伸ばしきれず、卒業後は引きこもりみたいになった例もあったわけです。

  その僕が知っている光明関係の人たちよりも個性が豊かで、自己主張も強烈だった。例えば、園と紛争を起こし、僕の去った後は身障ミニコミ会を動かし、結果的に八代英太議員の国会質問にまでつながったK氏とか、そのK氏と対立し、訪問者の僕とケンカまでしたM氏、寝たきりの文士の野口栄一君と。何故、そうなったのか、今まで僕は判りませんでしたが、考えてみれば、花田氏の諸々の著作に出てくる初期光明養護学校の教育の結果にそっくりです。ならば、島田療育園で僕は「光明養護学校本来の心」と出会っていたと言えるでしょう。医療面などを別にすれば、島田療育園を書き記す事は、「もう一つの光明養護学校を書く事」になるわけですね。ものすごい事を書いている気がしてきました。

  話は変わり、女優の宮城真理子さんは「ねむの木学園」を作り、その園児たちの教育にも力を尽くしました。その宮城さんの教育関係の業績と、同じだけの業績を島田療育園で花田春兆氏は上げたと思います。でも、以前も述べたように、79年以降の島田療育園は非常に狂い、83年に身障運動家の抗議運動以来、「悪い所」というイメージが作られ、定着したので、過去の良かった面まで忘れ去られてしまい、水上勉氏も、花田春兆氏も、関与さえも忘れられてしまった。これが風評と言うものでしょうが、勿体ない気が僕はします。僕は良い面も、悪い面も書きます。

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