トシコロさんの日記

2019年 08月23日 14:17

実録小説・シマハタの光と陰・改訂第6章・

(Web全体に公開)

  ここで時計の針を巻き戻して、1949年9月1日。東京の足立区の秦野家に長男が誕生した。幸男(ゆきお)と名付けられた。生後、間もなくの高熱で全身まひになった。乳児期は多病。生後一年しても起き上がれず、電信柱みたいに全身が硬直している。方々の医者にかかったが、全身まひの事は判らない。母である道子は心配でならなかった。


  「このまま、高熱に襲われて、小さい時に死んでしまうのではないか」と思うこともしばしばである。

  やがて、大学病院で、脳性まひと診断。直ちに死ぬことはないので、その面では安心したが、治る事はないとも告げられた。道子の気持ちは暗黒になった。道子の夫である歩(あゆむ)も長男の事が心配であるが、社長でもあり、仕事が忙しく、幸男の世話はなかなかできない。また、朝鮮戦争の特需の仕事も多く、更に忙しい毎日である。

  幸男は家の中では、寝る時以外は、特製の椅子に座っている。這う事もできない。外に行く時は、乳母車である。大体は家の中で道子や、社員に絵本を読んでもらったり、ラジオの子供番組や音楽を聞いて過ごしている。頭は良く、何でも理解できる。

   また、5歳になっても幼稚園に行く事はなく、その後も身体障碍を理由に、役所から「就学猶予」の通知が送られてきた。かと言って、身体が不自由な子供が通える学校の事などは父母も、社員も知らず、幸男は大人たちに囲まれるだけで、友人はいないわけである。秦野家はテレビを買い、幸男は人形劇のほか、NHKテレビの小学生向け勉強番組も好み、ひらがなや漢字も読めるようになり、本もたくさん読み、同年齢並みの学力は持ったが、明らかに社会的な刺激がない暮らしである。




  幸男の手足には筋肉がわずかしかついておらず、血液も回らないからいつまでたっても発達しない。でも、母の道子はそれを哀れに思うだけで、手の打ちようもない。

 

   食事の介護も大変であった。でも、それよりも大変なのが風呂である。

  

   自力では座れないため、風呂の時は母親が幸男を抱きかかえて一緒に入る。注意してあげないと、幸男の口のあたりもお湯に浸かり、窒息してしまう。いつも気を使いながら風呂に入れるのである。あと、修が寝たような姿勢で、母がその体を洗うのである。幸男の体重が軽かった時も母は風呂の介護が難儀であった。少しずつ大きくなると、猛烈に疲れた。そのほかにも、毎日の着替え。両手は伸びっ放しで、曲がらないわけだから、特に長袖を着る季節は大変である。トイレの大便の方も。和式トイレで母は幸男の体を後ろから抱きかかえての介護。かなり体力を要する。金持ちなので、家政婦を雇い、掃除や洗濯、料理などはかなり任せてあるが、本当にしんどい。このような毎日を続け、時だけが過ぎ、幸男は12歳になり、身体は大きくなっていた。次第に母道子は

   「私の体はもうボロボロよ。修の世話はこれからはできないわ」と思うようになっていった。そして、1962年の初め、カゼをこじらせ、その様子を見た主治医が道子に

   「あのう、多摩市にシマハタ療育園という、重い障害を持つ子が暮らせる病院みたいな所があります。幸男ちゃんも入れるでしょう。よろしければ、そこの林田先生という医者で、園長先生に手紙を書いて知らせますよ。このままでは、道子さんの体がもたない。倒れます。そうしたら、元も子もなくなますから」と言い、道子は深く考えるようになり、歩とも何回も話し合い、結局、幸男はその年の春にシマハタに入園した。

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