トシコロさんの日記

2019年 08月15日 11:48

諸々の近代戦争の根の一つに、愛の解釈の問題もありそうだ

(Web全体に公開)

今日は、1945年に日本の対連合国戦争が終わった日(国際法上は、9月2日)とされているので、まずは第二次大戦で無念の死を強いられた世界中の多数の人たちに哀悼の祈りを捧げる。戦死者の他、銃弾や爆発事故、戦争に伴う栄養不良で病死された多くの民間人、南京やナチス強制収容所で虐殺された名も無き人たちも含みます。無論、逃げ遅れて空襲などで亡くなった身障・知的・精神障碍を持たれた方たちもその中に入るわけです。


  さて、1945年までは、日本でも、ドイツでも「愛国スローガン」が盛んでした。降伏前のイタリアも。連合国もそうでしたね。その意味は「国家に尽くそう」。国により若干の違いがあり、日本では「天皇・軍部・国家」、ドイツでは「ヒトラー・ナチス党・国家」でしたが、愛国=国に尽くす事、という意味では変わりがありません。ドイツでは戦後はそれはタブーになったようですが、今もネオナチが同様な主張を繰り広げており、日本でも時々「愛国教育の強化=国に尽くす国民」という声が聞こえてきます。アメリカやソ連は戦後もその体質を温存したようで、その後はまずアメリカとソ連は軍事と宇宙開発競争を繰り広げました。後、アメリカは1965年からベトナム戦争、ソ連は1979年からアフガニスタン戦争を行ない、その時に「国に尽くす事」を若者たちに求め、徴兵でそれらの戦地に行かされ、戦争を強制されたわけです。以上は共通したものがありますし、そもそも「愛国心」は何でしょうか。また、もっと根本的な問題として、愛とは何なのか。愛=尽くしなのか。愛国の事に限らず、愛=尽くしだと考えている人たちが今の日本には多いです。僕の出会った人たちのほとんども、世代の別なく、愛=尽くしだと思っています。世界的にも言えると思います。でも、今日は述べない別の問題から、愛=尽くしという観念自体がおかしい事に僕は気が付きました。愛とは「対象をあるがままに認める」事ではないかと。又、同時に心の奥底から湧いてくる気持ちでもあると。愛国心も本当は、心の中から湧き出て、自分の国や民族の文化を徹底的に認める事に他ならない事でしょう。それならば、国家に尽くす果て、結果的に他の国々や民族を破壊する「戦争」にはどこの国でもならないはずです。他の国の人達を踏みにじる植民地化もありえないわけです。

   聖書・コーラン・仏典などに記された「愛」は相手を大事にする事。認める事だったわけです。親鸞上人は「どうにもならない我が身を仏は認めて下さっている。だから、同様に他人も認めること」の大切さを説きましたし。それが封建制社会になり、いつの間にか、「尽くす」にすり替えられ、更に、王侯貴族や殿様に男たちは兵士になっても「尽くし」、更に女性たちは妻となって、男たちに尽くす事を強いられた。それが19世紀以降、日本の場合も明治維新以降も、尽くす対象が国家などに変えられ、尽くしを強制されたり、国への愛だと思い、喜んで尽くす人たちも出た。まさに、封建性の残滓です。1945以降は世界的に尽くしは緩やかになりましたが、残り、ベトナム戦争やアフガニスタン戦争にもなった。更には、会社に尽くし対象を変えて、会社の為に働き、情報をあえて隠し、それが雪印や東芝事件にもなった経緯もある。「尽くしは本当に愛なのか」と考えざるを得ません。

  とにかく、愛の問題は非常に深いものがありそうです。愛国心とは何か、考えてみて下さい。

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