身障室にも個室がなく、相撲部屋のように、雑居状態だったからもあったと思う。それに後年、色々と創立期から調べ、歴史的な流れも掴み、小説として書けるようになったわけである。
同じ時期、僕も行ったハンセン氏病療養所の多摩全生園は当時はすでに個室・夫婦室も完備して、主に一元患者の部屋に入っていたが、その方式では、個人の事は判っても、療養所全体の事は掴めないわけである。元患者たち自身もそうなのかもしれない。
だからと言って、個室や夫婦室に反対する訳では無論ない。むしろ、大いにそうするべきだし、個室が昔はなかった事は、日本国憲法の「基本的人権」にふれると思う。夫婦室がなかった事も、憲法の夫婦条項にふれるわけである。
思えば、40年前は日本の福祉の黎明期で、法整備がなく、多くの社会矛盾が存在していたから、たまたま僕もその多くの矛盾に引き寄せられ、行かせていただいたと今は思う。
もし、S園も40年前に個室完備されていたら、仮に野口栄一君と知り合っても、彼の詩などの個人的な面ばかりに注目し、S園の姿はつかめず、個人的な事しか書けなかっただろう。それ以前に、S園に行っても、身障園生たちは個室にこもり、それぞれ好きな事ばかりして、僕とは出会っていなかったとも思う。僕も1度行って、そのまま止めていただろうと思うのだ。その場合、介護付きのマンションみたいになるわけだから、どんなに重度な障碍を持つ人でも、僕も在宅身障者に対してと同様な感覚で付き合うわけだ。一方、今の都会の在宅身障者同士は互いの家を訪問する習慣は、同級生でもない。ならば、その面からも個室完備ならば、付き合いは成立していなかったと思うわけだ。
むしろ、個室ながら、相手が昇天するまで行き続けた伊藤まつさんとの付き合いの方が不思議だし、行き続けた理由は説明できないわけである。無論、伊藤まつさんの個人的な事しか見る事はなかった。全生園の全体像はつかめず、2000年になり、新聞でやっと掴めたわけである。