特に1月は左ひざと腰が痛くなり、室内移動(ひざ立ち歩き)の時も痛みを感じ、動きにくくなった。そのような時は僕は寝たきりの脳性まひの体を持っていた野口栄一君の事を必ず思い出す。今回もそうだった。寝たきりの状態でよく前向きに生きて、声量も弱いながらも懸命に声を振り絞って、代筆を職員に頼んで、詩や随筆を書いていたものだと改めて感心する。もっとも、寝たきりの画家の星野富弘氏によると、寝たきりになると集中力が増すらしいから、あるいは、野口君の場合もそのせいもあったのかもしれないが。
その野口君に限らず、付き合った3人の身障園生とはお互いの恋愛・結婚願望の話から近付き、友人になっていった。その話が出なければ、友人にもなれなかったわけである。どう見ても、彼らとの友情はその願望から出ていた。そして、ほぼ同時期、教育関係とか、身障関係の難しい理屈ばかり話していた複数の会の仲間とは、多くが友人になれなかった。僕もケンカになった人さえいた。
今の僕は思ったが、男同士でも以上ならば、感じ方などが非常に違う男女間は恋愛について自由に話し合えなければ、尚更友人にもなれないのではないかと。確かに、詳しくは言えないが、非婚の多くの旧友を思い出しても、恋愛以前に、恋愛の話が苦手で、色々と難しい話ばかりする人たちである。日本は封建制社会が1868年まで続き、その後も戦後憲法発布までは封建制が抜けきらない社会だった。封建社会では、その秩序維持のため、主君への忠誠と親子関係が非常に尊重され、恋愛はタブーとされた。結婚は上流階級ほど、イエの維持のためのものだった。でも、それは身分差別そのものだし、正しくないとされ、恋愛結婚が主流になった。母校・光明養護学校の革新的な考えを持つ先生たちから「恋愛結婚が戦後はできる憲法になった。非常に素晴らしい事である」と教えられた。僕も同じ意見である。だが、いくら素晴らしい憲法があっても、恋愛の話を自由にしなければ、恋愛はできず、「宝の持ち腐れ」みたいになってしまうわけである。
話は戻り、今の野口君は天国。僕は天国の事は判らないから、今の彼については知りようもない。神の問題である。でも、地上でまだ生かしてもらっているこの僕に対して、彼は無言で何か語り、僕を励ましている気がする。だから、例の実録小説も書けるわけだ。僕の今後の恋愛の件についても、日本語に訳す事はできないが、強く語り掛け、励ましてもくれているわけです。ありがたく思っています。