今の僕は日本の医療や漢方薬の問題意識を書いた。方々に広めた。但し、僕としては深めて取り組む気持ちは毛頭ない。医者でもない以上、それはできないし、深く取り組んだらいけないとも思っている。そうではなく、民衆や良識ある医者たちに後はお任せする意識です。これで良いと思っています。自分や所属会ではなく、民衆にお任せする気持ちこそが社会運動だね。
でも、昔のVYSの人たちはそのような発想もなく、自分、又は、VYSとして問題を背負い込み、解決させようとした。各場でそのように言っていた人たちもかなりいた。結局、挫折感を味わい、心を残しながら撤退というパターンだった。広めるという発想がなかった。それ以前に、「民衆」という民主主義の基礎のものにも気が付かなかった。世田谷関係にも言えた。
会を作り、皆その水に浸かると、民衆との間にいつの間にか、壁もでき、民衆が見えなくなってしまうのだね。社会問題を論じながら、社会性がいつの間にか、失われていたという皮肉な状態。社会変革・良くする事は個人や会の力ではできないのに。大衆の一員としてやるべきなのに。
中途半端はいけないが、やり過ぎはもっと悪いと今の僕は思うようになっている。自分の力に応じた事を各自がすれば良いと。できない事は多くの他人にお任せして。やっと僕は社会性を悟ったと。
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全学連挫折にも言えますね。会派に分かれて、民衆の事を忘れていったという。また、歴史的に見て、宗教関係はもっと深刻です。