戦後日本は明文化された教育勅語は廃止され、天皇や国への忠誠、軍国教育も行われなくなった。しかし、ほとんどの先生は子供たちに「仲良くしましょう」と教え続けている。仲良くの意味をどれだけ考えているのかと。また、肝心の仲間外や意見や立場の違う人との関わりについては教えられているのかと。プロテスタントや無教会系クリスチャンたちからは「仲良くは中途半端。聖書にあるような愛でないとまともな関わり合いはできない」と批判しているが、歴史として教育勅語を述べても、明文化されていないから、戦後の仲良し教育については批判は難しいかもしれない。教育勅語よりも厄介かも。
皆と仲良くしたいと思い合うと、自分の心を無視して他人に同調するようになり、次第に社会に同調圧力が出る。ソフト・ファシズムである。何もオウム真理教に限らず、日本社会の随所に見られた。しかも、それらは時が経たないとファシズムの事はわからないから、厄介である。
コロナ対策にも言えるかもしれない。体質は一人一人違う。対策も本当はそうなのに、一律対策。肺の力が弱く、マスクできない人たちもいるのに。また、コロナ患者やその家族へのたたき、医者やナースへの差別。おかしい。何もコロナが原因ではないが、これをきっかけに、戦後のソフト・ファシズムが表に出たとも考えられる。
仲良くから愛になってほしい。そうしないと、介護も諸々の差別解消もできず、日本は滅びるわけである。