「仲良く」は一見平和的で穏やかですが、実際は不和や戦争の根の一つにもなります。ウクライナ戦争にも通じます。
その言葉の発端は明治の教育勅語。至る所で使われている。ただし、家族や学友に限られ、内向きです。異民族や立場、意見が違う人たちへのものは述べられていない。ましてや、敵への対処法が。仏典は敵への許しを説き、イエスは隣人=対立民族への愛を説いたのに。違いますね。
それゆえ、戦前も政治家たちは自分に合う者としか付き合わなくなり、足の引っ張り合い。国民の至る所でそうなりました。また、アイヌや琉球、植民地朝鮮の人たちとも政府高官は日本人とも仲良くさせようとしましたが、うまくいかなかった。あと、中国やアメリカと戦争になったのも、敵への対処法が説かれていなかったことも一因かもしれないと。
その教育勅語を生まれたてのソ連政府がコピーして、教育と民族政策に使った。でも、ロシア人本位だし、うまくいかなかった。その一つが、ウクライナ問題の根にも。とにかく、民族が違うと言葉も文化も違う。仲良くでは、逆効果が多い。民族内でも、資本家と労働者の件があるし、手話を使い、これも言葉が違う、ろうあ者もほかの人たちとは仲良くは非常に難しい。
江戸時代、社会的に影響の強かった仏教を弱らせ、外国のものであるキリスト教とマルクス主義を抑えるため、教育勅語は作られたと聞いたことがありますが、仏典や聖書などの人類の古典を参考にせず、当時のエリートたちがいきなり新しい価値観を生み出そうとしたのもいかがなものかと。ごうまんに感じられるのは僕だけでもないでしょう。
コメント
ひとちゃん
2023年 05月03日 12:50
そうです。やはり何事においても、敵対関係やら余計です。
当たらず触らず平和的が、一番だと思います~☆
トシコロ
2023年 05月04日 10:46
>ひとちゃんさん
それには愛だね。